The Takeda Foundation
理念

武田郁夫
2年目を迎えた武田賞に寄せて
理事長 武田郁夫

 今年2002年6月17-19日の会期で、武田シンポジウムというイベントを開催しました。北欧のヘルシンキ大学(フィンランド)、ウプサラ市(スウェーデン)を開催場所に選び、幹事をお願いした財団評議員の村上陽一郎先生、同じくアドバイザーの中島秀人先生の発案により、テーマを「工学知と市場、北欧モデルvs.シリコンバレーモデル」とし、参加者には、スウェーデン社会科学高等研究所のビョルン・ウィトロック教授をはじめ、元チューリッヒ工科大学のヘルガ・ノボトニー教授、2001年武田賞受賞者のシュミットブレーク氏、本財団理事、松原謙一氏、同じく黒川清氏らを迎え、総勢約40名が集いました。

 北欧はノーベル賞の発祥の地ということもあり、両先生のお取り計らいによって、私はかの地で直接その空気に触れるチャンスに恵まれました。そこで、スウェーデンという国とそこに住む人々の人類の知を尊ぶという姿勢を垣間見ることができました。人類はこれまで、自らの知の活路を見出し発展させ、幸せと豊かさを築き、確立させてきました。シンポジウムでは、さまざまな知の生まれ方が議論され(地域間による特性や、発明は必要の母か、はたまた必要は発明の母か、と例えられるような論争など)ました。私どもの財団の理念形成におおいに役立てていきたいと思っていますが、我々は、知は知でも特に「工学知」に焦点をあてています。また、「テクノアントレプレナーシップ」をキーワードに掲げています。

「工学知」と「テクノアントレプレナーシップ」によってもたらされる生活者への価値

 武田賞は、生活者には、その技術やブレイクスルーによってもたらされる生活の素晴らしさを、そして、その開発者、研究者ら技術の革新に携わったテクノアントレプレナーたちには賞賛のメッセージを伝えることを目的としています。

 私は、自分の半生を半導体(LSI)テスターの開発にかけ、その会社を経営してきたというほとんど唯一とも言える経験から、世の中を見渡すときにはどうしてもその見地からということになりますが、半導体工学が人々の生活をどんなに豊かにしてきたかは、大学に入学してすぐに学徒動員として電気試験所に配属されて以降、ずっと目の当たりにしてきました。ひいては、半導体ではない他の専門分野についても、工学における世界では、技術革新のもたらされかたについては、だいたい分かっているつもりです。そうして、自分が割合分かっていることの多い分野である情報電子系、畑違いですが、現在もっとも熱い二つの分野、すなわち生命系と環境系、のあわせて三つの分野における技術革新について、賞を差し上げようということになりました。それらの技術革新がどう生活を豊かにするのか(したのか)については、直接的には分からないことも多いものです。例えば、私の手掛けてきた半導体(LSI)テスターについても、どんな携帯電話にも半導体(LSI)のチップは入っているのに、その半導体の性能を確かめるための技術が存在していることなど、生活者にどのくらい知られているかとなるとあやしいものです。携帯電話に限らず、ラジオやテレビ、パソコンに至るまで半導体(LSI)は活躍しているのにもかかわらず、です。ともあれ、生活者の目に見えるか見えないかは別として、文字通り、人々の生活を豊かにする技術やブレイクスルーに賞を差し上げていきたいと考えています。

 このような賞ですから、選考の基準もただ純粋にアカデミックな業績を選ぶという手法は取りません。生活者に選び取られていくであろう技術、すなわち提供側ではなくて、提供される側に立っての技術を選んでいきます。生活者への価値の実現のために達成しようとしている学術成果、生活者へ実際に届けるために成果物にしようとしている努力や熱意、できた成果物を市場に乗せようとする努力や実力をも包括的に見て、顕彰したい。ですので、高度に進んだ最先端の技術であり、かつ、直接間接に人々の生活に役立つものでなければなりません。そして、私のもっともこだわりたい点として、そのそれぞれの取り組みが完全に完成するのを待ちたくはないという点をあげておきたいと思います。

 それらが、未完成である場合は、その取り組みが生活者の豊かさと幸福に到達しないというリスクもあります。しかし現実には、現在において未完成であるほど、これから到達できるかもしれない生活者の幸せと豊かさは計り知れないほど大きくなることもまた事実です。アカデミックな評価で業績の完成度を求めると、その業績の将来において完成され期待され得る未来は逆に乏しいものとなってしまいます。生活者の幸せと豊かさを築く工学知は、全地球上の生活者の求める夢を吸収して育てることが大切であり肝要であり、武田賞はそういった賞にしたい。私はアカデミックな価値だけの評価は地球上の生活者の幸せにはほとんど無関係だと思っています。

生活者の幸せと豊かさは、全地球上の一人一人の生活者が直接間接に選択することによって、創造され集積されています。

 武田賞では、推薦されてきた業績だけを丁寧に選考しています。推薦される業績は世界のどこのものでも構いません。生活者とは地球の生活者のことであり、どこかの国民とかどこかの市民だということは、生活者が豊かさを選択する時には関係がないと言えます。現在は、かなり多くの生活者にとって、輸入されてきたものを選択的に享受することができますし、直接、国境を越えたインターネット取引をすることも実現されています。もちろん、外交政策による経済操作もありますが、それでもなお、選択されるものは選択される、そして残る、という立場を私は取りたいと思います。工学知とテクノアントレプレナーシップの精神においては、国益に根ざすのではなく、生活者の選択に根ざして欲しい、それが私の願いです。

 国益について、私の経験から一言言っておきたいと思います。それは、多くの国の指導者がことあるごとに「国益、国益」と繰り返していますが、得てして、自国の利権の擁護のことを国益と称し、全く自己中心主義です。自国の利権を主張しすぎると、相手方の国の豊かさが削られることにつながりかねません。ましてや、利権を守るために、国益の名の下に軍備を進めるようなことがあれば、それは、国民の税金を使うことになり、生活者の豊かさを破壊することになります。私には、第一次、第二次世界大戦時の「お国のために」と言って、若者を戦争に駆り立てることを正義に見せたことがどうしても思い起こされます。また、我が国日本が中国を侵略し、中国の民が蓄えた富を日本軍が奪ったことがありましたが、日本が一時的に豊かになったとしても、全地球レベルの豊かさは減少したことになります。現に日本も、第二次大戦の結果、大変国力が疲弊しました。ある地域や国の豊かさが侵略戦争で一時的に増大することがあっても、人類全体の豊かさは減少します。これは、第二次大戦時に若い時代を過ごした我々世代には痛い体験として心に刻まれているものです。

生活者の選択と市場について

 さて、生活者の選択が直接間接に行われる場として、市場があります。最近の市場の動向は下落の一途をたどるのみ、アメリカのナスダック市場、日本の日経平均株価も続落しています。国境がなくなりつつある現在において、世界同時並行というのは、当然だと言えます。日本が1990年代に経験したことは、土地価格の暴走破裂による真のバブルの崩壊でした。実質的価値がないにもかかわらず価格だけがつり上がり、バブルとなって剥げ落ちたのでした。

 しかし、最近のピーター・ドラッカー著「ネクスト・ソサエティ」に書かれているように、人類の富は、18世紀、産業革命という形で人類の努力によって生み出されました。18世紀の産業革命における経済急成長は、日本の昨今の人工的バブルとは異なり、自然、必然に発したものでした。アメリカの1990年代の急成長は情報技術(IT)の発展とeコマースによるニューエコノミーが導いたものであり、実質的価値の増大を得つつ、経済、市場、産業を根底から変えました。

 人類史上、最初の産業革命とされるのは、1455年のグーテンベルグによる印刷機と活字の発明でした。次いで、1769年にジェームス・ワットによって蒸気機関が実用化されましたが、それによる急成長は約100年以上にわたって、その後の世界に影響を与えました。蒸気機関は、1785年、産業用として初めて綿紡績に使われ、製造プロセスが機械化されました。1829年には鉄道を動かす力となり、鉄道を出現させました。それは真の革命であったわけです。我々の生きる現在、コンピュータ(情報技術)が火を付けた現在の急成長(産業革命)は、たった10年かそこらでバブルがはじけたと言って終わる程度のものではありません。蒸気機関と同じく、今後100年以上にわたって世界に影響を与える産業革命となるでしょう。コンピュータをはじめ、それによってもたらされる大きな恩恵を生活者は市場を通して選択していくことでしょう。

 一生活者として、自らも明るい未来に向かって責任を持って幸せと豊かさを選択していきたい。また、賞を差し上げるものとして、そこに人類の託す夢を見たいと思うのであります。(2002年9月17日)


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