三井: 今日は、皆さん、よくお出でくださいました.
この会に申し込まれた方を拝見しましたら、全く初めての方が十人くらいいらっしゃいました.それから、30回以上来てくださっている方を含めて、10回以上来ているという方がやはり十人くらいになりますので、参加者のバランスは良いのではないかと思います.
本題に入る前に、初めての方には、この会の趣旨をお話ししたほうが良いと思いますので、少しお時間を頂きます.これは、毎回、声を大きくして言うのですが、カフェ・デ・サイエンスは講演会ではありません.科学者と直接対話をする場なのです.直接対話をすることによって、科学的に考えるということがどういうことなのかを理解するのを目的にしているわけです.ここで何か新しくて面白いことを聞いて、それで満足というのではなく、考えて理解することが楽しいと思って頂ければ嬉しく思います.
新しいことを知るのが目的ではないとしても、知識がなければ考えることができません.この場で最低限の知識は共有しておかなければいけません.この会では専門用語を使わないでくださいとお願いしています.どうしても使いたい場合には、その説明をして頂きます.私が余りにもそれをうるさく言うものですから、やり過ぎだと言われたことがあります.しかし、これまで、科学と関係無く過ごしてきた方の中には、聞き慣れない専門用語のせいで、筋を追えなくなったりすることもあるのではないでしょうか.そういう場合には、手を上げてアピールしてください.また、お話をしてくださる方には、無理なお願いをすることになりますが、よろしく、お願いいたします.
化学X数学シリーズは、今日で4回目になります.化学と数学を並べるのではなくて、双方を掛け合わせて、その関係をいろいろと見てゆこうというわけです.私も、化学科の出身です.化学というのは、紙に書かれた構造式から物質の性質を知ろうとしますが、それをどれだけ予測できるかが問題になります.また、その構造を決めることの裏には、性質から決めるということもあるかと思います.そこに、幾何学的なことがどれほど重要な手がかりを与えてくれるかというのが、今日のテーマである「多角形と多面体の化学」ということになるのではないかと思います.これまでは、融点や沸点といった物理的性質の数理はありましたが、化学反応と構造の関係にはあまり触れられなかったのではないでしょうか.
このシリーズで来てくださっている科学者は細矢治夫さんです.数理化学者(mathematical chemist)だということですが、細矢さんは、化学者と言うより、数学者ではないかという印象を受けております.だから、今日のようなテーマが上がってくるのだろうと思います.
これから少し話して頂きますが、なぜ、「多角形と多面体の化学」というテーマにされたかというあたりを簡単に説明して頂けると、お話の取っ掛かりが得られるのではないかと思います.
細矢: 細矢です.今日で4回目になりますが、初めての方もかなりおられるので、今日の話は、今まで話したこととダブル部分もあろうかと思います.
ご紹介にもありましたように、私は化学者ですが、数学のほうに寄っています.昨年の11月末に、化学が全く入っていない『ピタゴラスの三角形とその数理』という本を共立出版から出しました.どうして、そのような本を書いたかと言うと、今日の本題から外れてしまうかもしれませんが...
三井: あまり、外れないでください.(笑)
細矢: 私は、構造化学の助教授からスタートしました.分子や結晶の構造が物質の性質とどうつながるかということに興味をもっていたわけです.学生たちにそれを教えるには、実在の分子や結晶がどのような形であるかを分かってもらう必要があります.そこで、折り紙を使って多面体を作り始めました.ところが、いつの間にか、それにのめり込むようになったのです.そうしたら、三井さんがかつて勤めておられた東京化学同人が出している『現代化学』とい雑誌で、化学に関係のある多面体を折り紙で作るというシリーズを3回やることになりました.それを完結させた後、岩波ジュニア新書で書いてくれないかと頼まれました.そこで、折り紙だけでなく、封筒を使って作る方法も併せて、1冊の本に仕上げました.その本は私の自信作だったのですが、ちょっとした失敗があったのです.その本のあとがきに、断ってあるもの以外は全て私のオリジナルであると書きました.そのつもりだったのですが、一つだけ、そうでないものがあったのです.私は謝ったのですが、許してくれないので、絶版になってしまいました.
三井: その本は『化学をつかむ』という題名で、アマゾンで買えます.古本ですが、十倍くらいの値段になっています.
細矢: 数学は元々好きでしたが、そういうことで、数学にのめり込んでいったという次第です.ただ、周りからは結構変な目で見られました.化学の構造式から、トポロジカルインデックスというコンセプトを考え出して、論文を書き始めた頃、私の先生には、「細矢くんはお茶大へ行ってから、頭がおかしくなったのではないか」と言われました.それでも、そのまま居直っているうちに、こんなふうになりました.ということで、私の自己紹介とします.
三井: 皆さんからは、なるべく多くのご質問やご意見を言っていただきたいのですが、いきなりではお困りだと思いますので、皆さんが参加を申し込まれたときに書いてくださったことを参考にしながら進めたいと思います.
最初は、「幾何学的構造を成していない化学物質はあるのか」というご質問です.幾何学的構造というものがどういうものかによると思いますが、その心は、多角形や多面体でないもののほうが多いのではないかということをおっしゃりたかったのでしょうか.
細矢: 今、化学者がつかんでいる化学物質は数千万あります.私もどれくらいの数があるのか正確には分かりませんが、年間、百万のオーダーで増えています.先生の指導さえ良ければ、大学の卒研生でも新物質を作ることができますから、どんどん増えていきます.もっとも、その大部分は、形がグチャグチャで、形のきれいなもののほうが例外です.私は、三角形、四角形、五角形、六角形といったきれいな形のものに惹かれていろいろなことをやっているわけです.
三井: きれいな形をしていると思われるものでも、実際には、紙に書いたようなきちんとした形をしているわけではなくて、グニャグニャしているのではないのですか.
細矢: ものによります.ベンゼンはカチッとした正六角形です.ベンゼンは炭素6個と水素6個からできていますが、そこに水素が6個くっ付いたシクロヘキサンという化合物は、グニャグニャしていて、平面とは言えません.ところが、どちらが安定かと言えば、グニャグニャしているシクロヘキサンのほうが熱力学的には安定です.
三井: 安定にはいろいろな意味があるわけですが、この場合の安定というのはどういうことでしょうか.
細矢: 安定ということには、化学的にもいろいろな意味があります.例えば、ここに、炭素と水素と酸素からできている砂糖があるとします.それを蒸し焼きにします.砂糖を直接燃やすと、二酸化炭素と水になってしまいますので、酸素を遮断し、るつぼのようなものに閉じ込めて熱を上げていくと、どんどん溶けていきます.そこに圧力をかけてやります.そして、冷やしてやると、ダイヤモンドができます.そんなに簡単にはできませんが(笑).シベリアには指を開いたような地形が多く、そういう所にはほとんど人が住んでいません.そこで、指と指の間のような所にトンネルを掘り、その奥で、炭素を含んだ物質を圧縮してドカンと爆発させます.安いダイヤモンドは、そうやって作られています.
三井: 天然のダイヤモンドは、地球の芯のほうでできるという説もありますね.
細矢: 地球の芯のことは分かりませんね.地球のごくごく表面のことしか分かっていないのですから.オバマ米大統領は火星探査計画を打ち出したけれど、そんなことより、もっと地球の内部の調査に時間と金と人を投入しなければいけないと思います.
A: 地球の中へ行くのと火星に行くのとでは、どちらが難しいですか.(笑)
細矢: 地球の中は灼熱地獄ですから、ど真ん中に行くのは無理ですが、どこまで掘るかによりますね.
三井: 炭素だけの物質は他にもあるのに、なぜダイヤモンドになってしまうのですか.
細矢: それが熱力学的に最も安定だからです.炭素だけの物質を考えたらば、ダイヤモンドが一番安定です.その次に安定なのがフラーレンで、フラーレンはダイヤモンドの出来損ないです.だから、シベリアのトンネルの中でも、フラーレンはいっぱいできています.
三井: その場合の安定というのは、どういう意味ですか.
細矢: 例えば、水の場合、温度の低いときは氷で、温度を上げてゆくと水になり、やがて水蒸気になります.全ての物質は、酸素を遮断して、何かの容器に入れて、どんどん温度を上げてゆくと、個体、液体、気体と変化します.しかし、ダイヤモンドという個体を液体にしたり、気体にしたりするのに何千度必要なのか、ちょっと分かりません.そういう状態は、安定の一つです.
三井: 最終的にダイヤモンドになるというわけですが、途中で、フラーレンとかグラファイトになるということはないのですか.
細矢: グラファイトにそういう操作をすれば、ダイヤモンドになるのではないでしょうか.
B: 高温高圧下で一番安定なのがダイヤモンドで、常温常圧では、フラーレンやグラファイトになったり、活性炭のような不定形炭素になったりすると思います.細矢先生のおっしゃったシベリアで作っているダイヤモンドの製法は、ダイナマイト法といいます.実際には、ドラム缶の中に黒鉛や安価な石炭などを入れて、その周りにダイナマイトを詰め、粘土でしっかり固めて爆発させます.これが一番安上がりな方法で、ダイヤモンドの種がいっぱいできます.
三井: そうしてできたダイヤモンドはパウダーですから、研磨剤くらいにしか使えないわけですね.
B: 今、人工で作られているダイヤモンドは、天然のダイヤモンドの倍くらいのカラット数になるのではないかと思います.人工ダイヤモンドは、いろんなものを削ったり、女性の爪を磨いたりするのに使われています.
C: ご存知だと思いますが、ダイヤモンドというのは一番硬い鉱物で、他のものを削るのに最適なわけですから、工業材料として、非常に有用です.
B: ダイヤモンドは熱伝導率が非常に優れていますので、CDやDVD、ブルーレイディスクに使われるレーザーダイオード用のヒートシンク(放熱板)に貼付けられています.そうしないと、オーバーヒートで焦げてしまうのです.
細矢: 私の聞いた話では、そのダイヤモンドを削るのは、それよりも柔らかいフラーレンが最適だということで、ダイヤモンドどうしでは硬すぎるのだそうです.
安定の話に戻りますが、安定には、もう一つ、別の尺度があります.それは燃してみることです.同じ数の炭素と水素から成る化合物は非常に多くありますが、同じ重さのものを燃やしたときに、より多くの熱を発生するほうが不安定だと言うことができます.
三井: 化学では、他のものと反応しないというのも安定だと言われますね.その辺に放り出して置いたときに、すぐに酸化してしまうようなものは不安定だということですね.
細矢: 先日、北朝鮮が言うところの人工衛星が発射されましたが、失敗して海に落ちました.アメリカやロシアのミサイルは、燃料として液体水素や液体酸素が使われているのですが、北朝鮮の技術はまだそこまでいっていないので、その人工衛星を飛ばす燃料にはジメチルヒドラジンが使われていました.ですから、ミサイルの破片が海に落ちたときに、そのジメチルヒドラジンが害を及ぼすといけないということで、日本の自衛隊が沖縄に集まっていたわけです.ところが、韓国の傍に落ちたために、今、韓国がその人工衛星を拾い上げようとしています.中国やロシアは、そうすることが危険だと警告していますが、僕の直感では、ジメチルヒドラジンは海の中で簡単に分解して、恐れるような毒にはならないのではないかと思います.
B: 日本が終戦間際に飛ばしたロケット戦闘機の秋水は、燃料としてジメチルヒドラジンと高濃度の過酸化水素を使いました.この二つの燃料を混ぜ合わせただけで点火しますから、点火装置が要らず、簡単な仕組みですむわけです.大阪にある住友化学の工場の中に、秋水の燃料に使われた過酸化水素を作ったというビルが今も残っています.
三井: これはちょっと大事かなと思った質問をご紹介します.「紙の上に書かれた二次元の構造式から、どうすれば、三次元の立体構造をイメージできるのでしょうか.もし、コツがあったら、教えてください」.コツというのは、立体構造をイメージする方法ということでしょうか.
細矢: 中心になる元素が炭素と水素で、そこに僅かな窒素やイオウが入っているようなものであれば、普通の化学者は、その物質が平面的か立体的か、あるいは、安定か不安定かという予想は簡単につけられると思います.しかし、炭素の代わりにリンやケイ素になっていたり、金属などが入ってきたりすると、だんだん分からなくなってしまいます.僕らは、炭素以外のものが入っている化合物をヘテロな化合物ということで片付けてしまうのですが、それは非常に多種多様です.今は、無機化学と有機化学の両方から、ヘテロ化合物の研究が進んでいます.
三井: この頃は、多面体と多面体の間に金属を挟んだようなサンドイッチ化合物のようなものも合成されているようですが、簡単にはいかないとのことです.
細矢: ご質問の中に、正多面体の物質があるかというのがありましたね.多面体を理解するためには、裸眼立体視ができる必要があります.シリーズの第1回でもやったのですが、裸眼立体視というのは、フィルターや眼鏡などを使わないで、自分の目だけで立体的に視ることです. 裸眼立体視のトレーニングとして、先ず、3つの図を用意しました.真ん中に点を打った三重丸が並んでいますが、その両端にある2つは同じものです.裸眼立体視ができる人は、真ん中と左端の図を見ていると、中央が出っ張ってきます.ところが、真ん中と右端の図を睨んでいると、すり鉢状にへこみます.
それができないという人のために、左右の人差し指を目の前に置いて5センチメートルくらい離し、それが一直線になるようにして、ボーッと見ていてください.そのうちに2本の指がつながってソーセージのように見えるはずです.それが裸眼立体視の初歩になります.
正多面体は5種類あります.一番簡単なのは正四面体で、その次が立方体である正六面体.そして、正三角形が8枚で、一つの頂点に正三角形が4枚ある正八面体.それから、正五角形が12枚あり、どの頂点にも正五角形が3枚ある正十二面体.最後は正二十面体です.20枚の正三角形から成っていて、どの頂点にも三角形が5枚集まっています.正十二面体は日常的にあまり見かけませんが、ここに分子模型がありますので、回覧します.正二十面体は正十二面体より見かけないと思いますが、サッカーボールは正二十面体からできるのです.
D: サッカーボールというのは、正六角形と正五角形の混ざりですね.
細矢: パターンはいろいろありますが、皮をつないで作ったサッカーボールは、表面にいろいろな模様はあっても、正五角形が12枚で正六角形が20枚からできています.
三井: パターンがたくさんあるということは、ところどころにある二重結合の位置が違うのですか.
細矢: そうではありません.これは正二十面体ですから、正三角形が20枚あります.そして、どの頂点にも5枚の正三角形が集まっています.正三角形の各辺を三等分して角を切り落とせば正六角形ができます.また、一つの頂点に集まっている5枚の正三角形の各辺を三等分して頂点を切り落とした跡は正五角形になります.正二十面体には12個の頂点がありますから、できる正五角形は12枚になります.このように頂点を切り取ることを、昔は「切頭」と言っていましたが、今では、「切頂」あるいは「角切り」と言います.つまり、正二十面体の頂点を全部切り落とすと、サッカーボールになるわけです.従って、それを「角切り二十面体」と言います.かつては、「切頭二十面体」と言っていました.(笑)
このようなことは、非常に簡単なことなのですが、中学校でも高校でも全く教えられていません.しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452-1519)は、ルカ・パチョーリ(Fra Luca Bartolomeo de Pacioli, 1445-1517)という数学の先生と一緒に、既にいろいろな正多面体の教科書を書いているわけです.それよりもっと古い時代の、今から2,000~2,500年前のギリシャの哲学者達もちゃんと知っていました.だけど、世界中の数学の先生達は、あまり面白いと思っていなかったので、数学のカリキュラムから外れ落ちてしまったのでしょう.平面幾何でも難しいのに、立体幾何はもっと難しいということで、数学の先生達が恐れをなしたのです.だから、教えなかった.教えなかったから、研究もあまりしていない.今になって、こういう正多面体とか半正多面体、準正多面体など、いろいろな多面体が問題になって、それらのデータベースが広がっていますが、それを作ったのはほとんど化学者です.数学の先生の書いた多面体の本はたくさんありますが、全然僕らの役には立ちません.(笑)
三井: サッカーボールの形を決めたのも化学者でしたね.
細矢: サッカーボール(C60)は、20枚の正六角形と12枚の正五角形からできていますが、どの頂点にも、1枚の正五角形と2枚の正六角形が集まっています.これを「半正多面体」と言っています.では、正六角形が20枚、正五角形が12枚、頂点に3枚の平面が集まっているという条件で描くことができるC60の構造は何種類くらいあると思いますか.それが数えられたのは、今から20年くらい前のことです.アメリカとヨーロッパの3つのグループの数理化学者たちが競争してやったのですが、最初は、みんな違う答を出してしまいました(笑).その後、必死になって調べ直し、1,812種類あるということになりました.その中で、サッカーボールの形は一番きれいで、構造的にも力学的にも、そして化学的にも安定なのです.
三井: 化学者たちはコンピュータを使ったのですか?
細矢: 初めは使わないでやったのですが、当然、コンピュータは使います.
三井: 細矢さんがC60の研究で正解を得られたときもコンピュータを使ったのですか.
細矢: C60に関して、私が何をやったかと言いますと、ベンゼンの構造式は一つの六角形の中に二重結合が交互に並んだ形をしていることはご存知だと思います.このように、二重結合と単結合を交互に描くことができれば、それは安定な化合物だと言えます.C60は、頂点が60個、辺が90本あります.その90本の辺を結合だと考えて、30本の二重結合をいかにうまく配置していくか.その方法は何通りあるか.私はそれを計算したのです.
12枚の五角形と20枚の六角形からなる多面体を立体的に描くのは大変ですから、辺がゴムバンドでできていると考えて、1つの五角形を中心にして押し広げると、そのネットワークを平面に描くことができます.化学的な結合の長さや角度は狂ってしまいますが、どの点とどの点がつながっているかというトポロジーは変わりません.そういう絵を描いて格闘したわけです.1980年代の中頃までは誰も全部を描いたことがなかったのですが、ある1つの絵は楽に描けます.それが全部で何通りあるか.答は12,500通りです.
当時は、東大にあった大型計算機が、まだスパコンにはなっていなかったけれど、日本最大のコンピュータでした.そのコンピュータに計算させるプログラムは簡単に書けるのですが、それを実行させると、何日間もかかりますから、その使用料を払ってしまうと、僕の研究費が無くなってしまいます.ですから、必死になって漸化式(隣接する数字との関係によって数列の性質を表す式)を書き、分厚いノート1冊分くらいを費やして、12,500という数字を出しました.そのときも、数学の先生にはタッチしませんでした.(笑)
『数学セミナー』(日本評論社)という、数学好きの中学生から読める雑誌があります.2年前のことですが、その雑誌に、アメリカで活躍している有名な数学の大先生が論文を書きました.その先生は80歳を過ぎていますが、現役です.僕が12,500という数字を出したとき、他のグループも同じ答を出しましたから、そのことは世界的にも、化学者の間では認められていたけれども、数学者は知らなかったのでしょう.数学では完全マッチング数と言います.その大先生は、その数を計算して、『数学セミナー』に投稿したのです.ところが、『数学セミナー』の編集長が、目を通して欲しいということで、偶然にも、その論文を私のところへ送ってきたのです.見たら、その数が間違っていました.その先生は手で分類してやっていたのです.私は、直接コンタクトしていませんが、編集長を通して、数十年前の私の論文を送り、その状況も説明しました.その結果、その先生は間違いを見つけて、無事に、『数学セミナー』の5回の連載 (*1) を終えました.
A: その先生にとって、『数学セミナー』は、シビアな論文を発表する場ではないと思います.単に間違ったのですね.それは余技でやっていることですから.(笑)
細矢: 『数学セミナー』の編集長が、論文を僕のところへ送って来なかったら、連載の最後に、大先生が間違ったことを書く羽目になったわけですよ.余技だから、間違えてよいということはないでしょう.(笑)
三井: 次の質問に移りましょう.Lさんは、幾何学的な美しさと化学的な安定性に惹かれたそうですが、幾何学的に美しいということ、つまり、対称性があるということと、化学的に安定だということとは関係があるのでしょうか.
細矢: 必ずしもそうは言えませんね.正十二面体の20個の頂点を全部炭素にして、それぞれの炭素の手に1個の水素を付けるとC20H20になり、この化合物は合成されました (*2) .最初の頃は世界中の合成の得意な有機化学者が大勢で競っていましたが、ほとんどが落伍してしまい、最後にアメリカの有名な先生が勝ったのです.それを合成するのに、ものすごい時間と人手がかかったわけですが、何か素晴らしい性質をもっているというような報告はありません.このように、一時期、形のきれいな変わった化合物を、合成の得意な有機化学者が必死になって作っていたことがありました.しかし、それだけ苦労して作っても、それで終わりというものが多いですね.
立方体の分子も合成されています.立方体は頂点が8つありますから、炭素の数は8個です.炭素の手は4本あって、その3本は隣の炭素とつながり、残りの1本が水素と結合して、C8H8というキュバンになります.キュバンは合成されました (*3) .
三井: キュバンにはどういう性質があるのですか.
細矢: よく知りませんが、その固体は、そこら辺に置いておいても見ている間に壊れるようなものではないということは分かっています.それに対して、正四面体のC4H4の場合は、有機化学者たちが必死に試みていますけれども、未だに合成できていません.しかし、4個の水素をt-ブチル基(-C(CH3)3)で置き換えたものが辛うじてできています.それが何の役に立つかは全く分かりません.そういうことで、形がきれいであるということは安定と結びつかないのです.
一番きれいな正四面体になるのはメタンではなくて、リンです.リンは、温度を上げてやると蒸気になります.その蒸気は毒ですから、絶対に吸ってはいけません.リンには、赤リン、黄リン、白リン、黒リンといろいろありますが、出発点がどの固体であっても、リンの蒸気は正四面体の形をしています.
三井: シクロブタジエン(C4H4)は、ぺちゃんこなのですか.
細矢: 四角形のものは、シクロブタンとシクロブタジエンがあります.シクロブタン(C4H8)の場合は、4つの炭素は正方形を作りますが、その平面から外れるように、2個ずつの水素が出ています.これは安定です.
三井: シクロブタンは曲がっていないのですか.
細矢: 曲がっていないと思います.
三井: 私の見た辞書では、20度程度曲がっていると書いてありました.
細矢: そうですか.大変失礼しました.正方形のシクロブタジエンは頑張っても合成できないのですよ.
三井: できないのですか.シクロブタジエンは長方形だと書いてありましたが、合成できないものが、なぜ長方形だと言えるのですか.
細矢: 温度を下げて溶媒を選んでやると、ごく短時間ですが、C4H4ができます.その形は正方形ではなくて長方形なのですが、それがなぜかというのは、量子力学に基づいたシュレディンガー方程式や分子軌道法を使わないと説明できません.
三井: ポスターにも描かれていた正四面体の分子で、左側のものは合成できなくて、右側のものはできるというのは、量子力学的に説明はつくのですか.
細矢: メタンは、1個の炭素が正四面体の中央にあって、そこから正四面体の頂点方向で4個の水素と結合していますから、炭素の手は109.5度の角度で離れていることになります.ところが、正四面体の角度は60度です.左側の正四面体の分子は、109度で安定なところを60度に縮めるわけですから、無理がかかって壊れてしまうのです.つまり、水素が飛び出てゆくのです.その水素をt-ブチル基に変えてやると、辛うじて壊れるのを防ぐことができます.一般に、不安定な炭化水素の端にt-ブチル基のようなかさ高なものを付けてやると、外側からの攻撃を防ぐことになって安定になるのです.それは経験則としてあります.
A: 今、経験則だと言われましたが、それはシュレディンガー方程式か何かでチェックできる話ですから、まだできていないということですね.
細矢: シュレディンガー方程式を使って分子が安定かどうかを判定する研究は相当進んでいます.分子量が万に近いようなタンパク質の構造なども調べられています.そこには近似がいろいろと入ってきます.今、例に挙げた四面体の安定性についての計算も、誰かがやっているかもしれませんが、私は、その結果を見ていません.やれば結論は出ると思います.
A: そうした計算によって、何か新しいことが分かるというようなことはないのでしょうか.
細矢: 四面体の化合物が安定かどうかの計算を必死になってお金をかけてやっても、あまり成果は無いように思います.私もデータベースの作成に関わっていますが、分子の量子力学的な計算をした論文が、世界中で、年間5,000報くらい出ています.その中から、実験的に上手い具合にゆくものを見つけるのは、やはり化学者の勘と経験ですね.
三井: それと関係ありそうなご質問があります.理論的に可能だと思われる多角形や多面体の形をした分子が、天然には存在しなかったり、合成できなかったりするのはなぜか.また、そういう数理はあるのかというご質問です.
細矢: それは、先程のC4H4(シクロブタジエン)とC6H6(ベンゼン)との違いです.理論的に安定かどうかが実験でも確認されているわけです.
三井: Eさんは、「任意の多面体が存在できるか否かは式を使って解けるのでしょうか.もしできないとすると、理論的にできないということが分かっているのでしょうか」と書いていらっしゃいます.
細矢: 多面体へゆく前に、平面で三角形、四角形、五角形という多角形について話します.二重結合を交互に入れるために、とりあえず、偶数角形で話をします.正方形の分子としては、シクロブタジエンのような構造式は描けます.六角形も、八角形も、十角形も描けます.その中で、六角形は非常に安定ですが、四角形は非常に不安定で、八角形も不安定です.八角形はできるのですが、ベコッとへこみます.十角形はそれらに比べれば安定です.周りに別の炭化水素のグループなどで固めて、無理矢理十角形にしているようなものもありますが、それは正十角形ではありません.
量子力学の軌道計算で、電子の容れ物(軌道)に入る電子の数が何個であれば安定で、何個のときは不安定だということが分かります.その結果、四角形と八角形が不安定で、六角形と十角形が安定だというのが量子力学的に説明できるわけです.
E: 先程のお話によれば、毎日1万くらいの化合物ができている勘定になりますが、化合物を作っている人は、ただ作ればよいということで作っているのでしょうか.それとも、役に立ちそうだから作ろうということなのでしょうか.
細矢: それは、大事な質問ですね.こういう構造式のものができれば、これは世の中の役に立つだろうと考えてやるのが分子設計です.
三井: この頃、多角形とか、立方体のものを作って、その中にガスだの金属だのを押し込めようとすることがずいぶん進んでいるようです.それも分子設計の一種だと思われます.かつて、サンドイッチ化合物というのがありましたが、最近では、長くもできるし、二次元にもできるということです.
『現代化学』の3月号と4月号に、そういう話がいっぱい載っていますから、ちょっと専門的ですけども、興味がおありの方はご覧になってみてください.
細矢: この4月号は表紙からして多面体の図が載っています.これは実際の結晶の写真ですが、中には写真や構造式がいっぱいでてきます.
F: 化合物の構造式を見ると、二重線でつながっているところと、1本の線でつながっているところがありますが、二重線のほうが結合は強いのですか.
細矢: 2倍までにはなっていませんが、比較すれば強いですね.
F: 化学で習慣的に描く二重線と一重線の違いは何ですか.
細矢: 炭素の4本の手それぞれに水素を1個つなげば、CH4のメタンです.メタンの構造式は、平面では十文字に描きますが、それは便宜的に描くだけで、昔の人は構造なんかには関心がなかったから、そういう絵が通用したわけですが、実際の分子は正四面体です.同じ炭素原子から出ている4本の手が一番安定なのが109.5度くらい離れた正四面体だということです.
ところが、ベンゼンは6個の炭素と6個の水素からできています.炭素には4本の手がありますが、水素には1本しかありません.ベンゼンの水素は6個ですから、炭素の手は余ってしまいます.その余った手が隣の炭素と二重結合をつくるわけですが、二重結合とは言っても、1本はお互いに向き合って手を握るのですが、2本目の結合では、そっぽを向いて手を握っているのです.だから、二重結合は単結合より強いのですが、二倍よりは弱くなります.
三井: 奇数角形の化合物はどうなのですか.
細矢: 正五角形や正七角形で安定な炭素化合物はいくつも知られています.ただし、正五角形のC5H5の場合は、半端ができてしまうのです.そこで、他所から電子を1個もってくると、五角形のところに、ベンゼンと同じようにそっぽを向いている電子が6個入ることになって安定になるのです.だから、C5H5- (*4) は安定です.それから、C7H7は、そこから電子が1個飛び出していったC7H7+ (*5) が正七角形で安定です.とにかく、6個で輪を作ると安定になりますが、その辺は、理論的にも実験的にもきちんとした説明がついています.
F: 10以下の小さい範囲であれば、六角形が一番安定だということですか.
細矢: そうです.
F: それで、ちょっと思い出したことがあります.数学の置換で、対称群のS6というのがあるのですが、それが関係するのかなと思ったのです.
細矢: 置換群は異性体を勘定するときに非常に大事ですが、分子1個1個の安定性には関係ありません.
F: 置換群の自己同型群というのが、対称性を表すときの一つの尺度になっているのです.
細矢: 私はよく知りませんが、それが化学で役に立っているということは聞いていません.逆にお聞きしますが、群論の点群はご存知ですか.
F: 点群とか空間群というのは、数学屋より、物理屋のほうがよくやっている分野です.(笑)
細矢: そうなのです.それを言いたかったのです.三井さんが、化合物の形が多角形であるとか多面体であるというのを、何でどのように決めるかと尋ねたことがありましたけれど、それはスペクトルから決めるのです.星間分子からもいろんな信号が来ています.宇宙の果てには、サッカーボールがあるかもしれないのです.
三井: フラーレンは見つかった (*6) のではありませんか?
細矢: 見つからないのです.どうしてかと言うと、フラーレンのように対称性の高い分子から出るマイクロ波の信号を検出できないからです.対称性が高い分子は双極子モーメントを持っていないのです.だから、直線状の分子でも、非常に面白いものがありますが、必ず、左右非対称です.選択則と言いますが、形の良いものは、量子力学的にある種のスペクトルは不活性になってしまうのです.
それは、点群の成果なのです.1930~1940年代に物理学者が中心になってやりました.化学者も少しだけ協力しています.結晶群に関しては、数学者が相当な貢献をしてくれましたが、分子の点群にはそっぽを向いていました.未だにそうです(笑).日本だけのことではありませんが、日本の大学で点群を教えているところはありません.
F: これから教えるのではないかと思います.
細矢: 大事なところは、もうできているのです.(笑)
A: 私の元学生の中に、J-PARC(大強度陽子加速器施設)で、整数論を使った結晶解析をしているのがいます.そういう解析は、物理学者や化学者ではもう分からないと思いますよ.(笑)
細矢: 私は、化学を数量的に扱うトポロジカルインデックスというのを考えたのですが、数学者は認めていなかったのです.
A: 私は、ケミストを尊敬しているのです(笑).ただ、いろいろな側面があるということを言っただけで、最近は数学者もやっています.
細矢: もっと協力して欲しいのです.そのためには、大学で点群を教えてくれなければいけません.
F: 教えていないことはいっぱいありますよ.(笑)
B: 私は、大学に入ってから数学が嫌いになった実験化学者です.(笑)
細矢: そういう人がたくさんいるのですから、それを考えていただきたいのです.
G: 空間群は鉱物学者がずいぶんやりましたね.結晶の230種の空間群を作った人が3人 (*7) いますけれど、その一人は鉱物学者です.
H: 私は、小学校三年生の孫に、平面的な多角形が立体的な多面体になるということを教えようとしています.正方形が立方体になるのは、サイコロという実物があるから分かりやすいのですが、三角形から四面体というのは簡単なようで、なかなか難しいのです.それをどうやって理解させればよいのかと悩んでいます.
細矢: 正四面体は簡単に教育できると思います.縦長の封筒を使って正四面体を作ることができます.先ず、封筒の底辺を一辺とした正三角形を描きます.次に、底辺と並行に頂点を通る線を引き、そこに鋏を入れます.正三角形の線で折り曲げて立体にすると、それが正四面体になります.これは誰が考えたか分かりませんが、相当昔から知られています.そういう現物を与えて教えればよいのです.
H: 世の中で、四面体の代表的なものというと、何かありますか.
I: テトラパックの牛乳があります.
H: 多面体の作り方としては、別のアプローチもあるのではないでしょうか.
細矢: VSEPR(Valence Shell Electron Pair Repulsion: 原子価殻電子対反発則)という化学の理論があります.電子対は互いに反発し合い、空間的にできるだけ離れた位置を占めようとする電子の性質を述べているわけですが、その理論に基づき、球面のどこにでも付くような磁石棒を球にくっ付けて、分子構造を考えることができます.2つの磁石は電子対のように必ず反発し合うので、球面にくっ付けた2個の磁石棒は、直線上に並びます.3つの磁石棒の場合は、磁石棒の先が正三角形になるように球にくっ付きます.ここまでは平面ですが、4つの磁石棒がくっ付くと、メタンのような形になりますから正四面体です.5つの場合は、極小点が2つできます.つまり、正四面体を2個くっ付けたような形です(図参照).そうやって、6個、7個、8個とやっていって、60個の磁石を置くことができれば、それはサッカーボールになります.万能ではありませんが、そのような磁石を使う古典的な方法でも現実の分子の形に対応するものができます.
B: 私は、アモルファスのガラスを材料に使った仕事をしていますので、結晶を対象にした幾何学は諦めていましたけども、アモルファスでも高次の構造体を作ってゆくと、何らかのルールが発生してくるのです.結晶のようなきちんとした構造はできませんが、そういうときに何を手がかりにすればよいのか悩ましいところです.
細矢: それは、やはり、帰納と演繹を繰り返すよりないでしょうね.数学は演繹のほうを重んじますが、化学は帰納を用いることが多い.だから、両方で仲が悪いのですけどね(笑).僕は数学に帰納をいっぱい使っていますので、新しいこともいっぱい出てきます.量子力学計算は化学に演繹を持ち込みました.そのおかげで、どの多角形の化合物が安定か不安定かということが計算できたわけで、帰納では絶対にできません.だから、両方が仲良くしなければいけないのです.
三井: 結晶のような、あるいは、ジャングルジムのような構造を作って、その中に何かを入れようとすると、昔は壊れてしまったそうですが、この頃は壊れなくなったそうです.水素燃料を使うにしても、水素をどこかに詰め込んでおかなければいけないわけですが、そうした実用的な目的にも使うことができるわけですね.そのような必要性から研究が進んだのでしょうか.
細矢: 両面でしょうね.
B: 今、正に、放射性セシウムを除去するために、プルシアンブルーという顔料に吸着させて、その格子構造の中に閉じ込めるという研究が進んでいますね.
三井: そうすると、ますます多角形とか多面体の出番ですね.
細矢: 『現代化学』の4月号を見ていたら、特にそう思いました.
多面体の分子の中でまだ話していないのは、正二十面体についてですが、炭素でこの形を作るのは無理なのです.つまり、頂点に集まる辺が5本あるからです.ホウ素は意外に柔軟で、B12で二十面体になっているものがあります.1979年の『現代化学』に、ホウ素を含んだ物質のどういうものが多面体を作るかということが書いてありますから、見てください.その頃から、既にデータはあります.
三井: どうしても伺いたかったことがあります.裸眼立体視用の図を用意してくださいましたけれど、これはどうやって作るのですか.
細矢: それを描くソフトがあるのです.手作業でやるとすれば、立体的な物体を置き、その物体と自分との間に透明なスクリーンのようなものを起きます.そして、物体を右目で見たときの図と左目で見たときの図をスクリーンに描きます.資料の立体視の図のように、右目から見たものと左目から見たものとでは、少しだけずれているのです.
三井: 立体視のやり方には、平行法と交差法という2つの方法がありますね.
細矢: 僕は正直に言って、交差法はできません.
三井: 私もできなかったのですが、必死になって練習したらできるようになりました.(笑)
細矢: X線の構造解析をやっている人達のグループは、大きな2枚のスクリーンに、僅かに違う立体視の絵を焼いて見るわけですが、それは交差視でないと浮かび上がらないのです.だから、X線の結晶解析をやっている人達は、訓練して両方を切り替えられるようにしています.
三井: 平行法では、右の絵を右目で見て、左の絵を左目で見るわけですが、交差法は右目で左の絵を、左目で右の絵を見ますから、寄り目になって、正面から見ると、すごくおかしな顔になるのですが、それができないと、スクリーンに写された大きな図の立体視ができないのです.
細矢: 今日は時間がなかったのと、皆さんの忍耐力が無かったのとで(笑)、立体視ができた人は少なかったのですが、学校や何かの講座などで、熱心に話を聞いてくれるような環境では、だいたい8割の人は裸眼立体視ができるようになります.約2割の人はなかなかできないのですが、それでも、悔しいと思ってやっていると、できるようになります.
それから、飛行機から撮影した山岳写真を元にして立体視用のサンプルを作成すると、約1割の人は、山がすり鉢状に見えるのです.そういう人は、生まれつき、目を交差して立体視しているのだそうです.
三井: 練習するのは、写真のほうがやりやすいそうですね.そういう本も出ています.
C: ポルフィンの図が、ポスターにも描かれていましたし、先生の用意された資料にも載っています.これは、鉄が真ん中に入ったらヘモグロビンで、マグネシウムが入ったら葉緑素になりますが、なぜこの絵をお出しになられたのでしょうか.
細矢: 正方形の分子で安定なものということになると、ポルフィン以外に無いのです.どうして正方形になっていられるかと言うと、中に窒素(N)があるからなのです.炭素だけの五角形では絶対に無理です.
三井: これは真っ平らではありませんね.
細矢: ほんのわずかだけ歪んでいるのではないかと思います.例えば、ヘモグロビンの中に酸素が入るときは、ど真ん中ではなくて、少し宙ぶらりんの状態になっています.これは、完全な正方形ではないけれども、ほとんど正方形と考えてもよいのではないでしょうか.
三井: 窒素が入っている五角形ははみ出ているように見えます.
細矢: この絵は、作図の都合上、90度になっていますが、実際にはもう少し広がっています.120度まではいきませんが.
三井: 正四角形ではないけど、四角形だということですか.
細矢: 全体的には正方形になりますが、90度というのは間違いです.
C: 自然界にポルフィンのようなものができたことが、とても不思議です.工業的には化学合成されていますけど.
J: ユーリー-ミラーの実験のように、非常に単純なメタンや二酸化炭素などを混ぜたガスに放電すると、ポルフィン骨格の分子ができるのです.ですから、熱力学的に非常に安定なのだろうと思います.
K: 生物は、それを利用しているということですか.
J: 原始の海の中で、既にこういうものがたくさんできていたということです.だから、生き物なんて、あまり高級な機械ではないのです.(笑)
細矢: その生き物に関係するアデニンはC5H5N5です.つまり、青酸であるHCNのちょうど5倍なのです.生体内では別ですが、化学者はHCNを原料にしてアデニンを作ることができました.不思議なことはいっぱいあります.
三井: みなさん、大きなクエスチョンマークを頭にのっけてお帰りになることになりますね.
A: 先程、世の中には数千万の化学物質があると言われましたが、タンパク質なども含まれているのですか.
細矢: タンパク質のようなものは含まれていません.
A: では、数千万というのは、どのような物質なのですか.
細矢: その8、9割は炭素化合物です.
L: 今日は量子力学に関するお話がたくさん出てきたのですが、今では量子力学を知らないと化学者にはなれないのでしょうか.
細矢: 駄目ですね.それはもうマスト(must)ですね.大学では必死になってシュレディンガー方程式を学生に教えましたけれど、その準備段階としての数学の授業がほとんど役に立っていないのです(笑).
A: 多体系のシュレディンガー方程式を解いたものを見たことがあるのですが、数学としてはメチャクチャだと思います.厳密なロジックではほとんどやっていません.先程、量子力学は演繹だと言われましたが、何も演繹していないのです.
細矢: シュレディンガーは、自分の立てた理論の真の意味は、とうとう知らなかったそうです.(笑)
A: ガウスだって、オイラーだって、自分が証明できなかった大事な定理はいっぱいあります.
三井: 化学者と数学者のバトルはこの辺でお終りにしたいと思います.今日はありがとうございました.(拍手)
(*1) タイトルは「フラーレンと正十二面体の幾何学」(数学セミナー、2010年10月号、11月号、12月号、2011年1月号、2011年3月号)
(*2) Leo A. Paquette, Robert J. Ternansky, Douglas W. Balogh, and Gary Kentgen, "Total Synthesis of Dodecahedrane." J. Am. Chem. Soc., 105, 5446-5450, 1983.
(*3) Philip E. Eaton, and Thomas W. Cole, "Cubane." J. Am. Chem. Soc., 86, 3157-3158, 1964.
(*4) 1,3-cyclopentadiene-1-ide
(*5) 1,3,5-cycloheptatrienylcation
(*6) Jan Cami, Jeronimo Bernard-Salas, Els Peeters, and Sarah Elizabeth Malek, "Detection of C60 and C70 in a Young Planetary Nebula." Science, 329, 1180-1182, 2010.
(細矢の追記)この話は知りませんでした。多くの星間分子のスペクトルによる同定はマイクロ波分光で行われていました。その選択律からするとC60もC70も測定にかかりません。C70はかかります。このレポートは赤外線吸収スペクトルですね。それならば、C60もC70もかかります。これまでは、赤外線の測定で星間分子の同定はあまりされていなかったのです。今回の測定は、相当感度と分解能の良いものらしいですね。
(*7) Yevgraf Fyodorov (1853-1919) ロシアの数学者、結晶学者、鉱物学者;Arthur Moritz Schönflies (1853-1928) ドイツの数学者;William Barlow (1845-1934) イギリスのアマチュア地質学者.