吉川先生講演に対する質疑応答
1.ハンガリープロジェクト
2.第二種基礎研究は公的財産になる
3.Disciplineの増加と合体


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2.第二種基礎研究は公的財産になる

(鈴木) 
大変きれいに整理されていて、感銘を受けました。私は、Indigenous KnowledgeをFactual Knowledge とそれから先生の言葉でUtilization Knowledge と分ける時に、このUtilization Knowledge のほうがまさにエンジニアリングに対応して、Indigenous Knowledgeがサイエンスであるという、そういう分け方をしているのですが、では、いったい誰がノウハウに属するもの、すなわちUtilization Knowledgeの恩恵を受けるかというと、結局は商品化された時に産業界が受ける。また、ノウハウ自身としての体系化というのはたぶんできません。ノウハウをDisciplineとして、かたちとして体系化していくことはできない。そうすると、それを公的資金でサポートするというのは、いったいどういう意味になるのだろうという、そこのところが今ひとつ釈然としないところでありました。

(吉川) 
そうですね。2つご質問があるような気がするのです。エンジニアリングに入れるか、あるいは社会科学かということなのですけれども。もともとはいわゆるピュアサイエンス、アプライド・サイエンス、エンジニアリングと分かれていたのでしょうけれども。エンジニアリングがいわゆる公的資金の研究の対象になるために、やはり論文制度というのが入ってくるのです。ですから多くの大学の工学研究というのは、自然科学のスタイルをとってきたわけです。そうすると、ノウハウとかシンセティックというのは離れてしまうわけでしょう、結局アナリティカルになります。防災機械を買ってきて、震度を調べたとか、そういう話になっちゃうでしょう。やはり、Utilization Knowledgeだというのがわかってきました。そこで私の提案は、Utilization Knowledgeというのは鈴木先生がおっしゃるように、それは確かにノウハウに留まってきたのです。でも公的資金ではないので、使う人が努力してやればいいのです。ところが私はどうもそうじゃないと思われます。それが第一種の基礎研究と呼ばれる部分に、これは一種の公的な方法、これはエビデンスベースでなければならない。議論の展開はロジカルでなければならない、非常に厳しい条件を付けられているのです。そこで、創造性があれば、論文になるということで、そういう一種の審査機構があって、論文になったものは何十年経っても使われます。ですからそれは公的な財産です。ところが今のお話のように、ノウハウは公的にならないでしょう。それはなぜならないか。ならないから駄目だというのではなくて、第二種基礎研究も論文になるという、そういう仮説です、私が言っているのは。そのために、最後に話した訳のわからない話というのは、その骨格を浮き立たせたのです。それは明らかに、エビデンスベースで、ディダクティブな論理展開だけで議論をするというのではない、そういう1つのやり方があって、それは一種のコレクション、アブダクションという着想と、アブダクションによる問題展開という論文があり得ます。でももしそれが論文としてアクセプトされるならば、次の人が読めるでしょう。次の人が読めると言った時に初めて公共的な財産として、それに連動して公的資金を投入していいということなのです。今、われわれはまだそれをやっていないから、なかなかそこに公的資金が出ないのは当たり前なのです。ですから産総研でやっているのは、論文にせよと。最初は論文にならないのです。ですからいわゆる研究日誌みたいなものしか書けないのです。しかし、われわれはその研究日誌を集めて、それのいい悪いのと評点を付けようということなのです。その何がいいかというものの中は、ある意味では1つの構造化をなし遂げているわけです。それがまた第二種基礎研究の新しいタイプの論文、すなわち公的財産としての論文というものになっていくだろうと。これはやや楽観的なのだけれども、そういうことを内藤さんと語り合っているのです、今現在。

(赤城) 
それに関係するのですけれども、今最後のお話を聞いていて、それまでは第二種基礎研究というのは、単に発見されて、実用化されるまでに時間がかかるよというお話かなと思っていたのです。その範囲であれば、企業が製品化するために、いろいろな技術を持ってきて、製品化するという努力と別に変わらないのではないかという気がしていたのですが、最後のお話をお聞きしまして、結局Disciplineの間で融合できないところを融合させるということの研究があるはずで…。

(吉川) 
基礎的な方法があるはずなのです。

(赤城) 
ええ。ですから第二種基礎研究の基礎研究みたいなのがあって、それがはっきりすれば、そこのところの論文はそれで書けるようになると。たぶんその中に、モード2なんかもそれをやろうとした1つのアプローチではないかと思うのですけれども、やはり現実のものを作り出すわけですから、科学技術、いやナチュラル・サイエンスだけではなくて、ソーシャル・サイエンスの要素が入って、それで完成するのではないか、そういう格好の、体系化するのは非常に難しいと思うのですけれども、論理的には存在する空間のはずで、そこがあるのだよということを認識した人が、そのために役に立つ情報として第二種基礎研究の論文を書くということをしないと、書かれた論文というのは、全部製品化物語になってしまいます。製品化物語をいくら集めても、たぶん吉川先生のおっしゃる第二種基礎研究にはならなくて、こういう観点なのだよということが、もっと今日、私も初めてお聞きして、そういうことなのかなと思ったのですけれども、それが非常に大事な気がするのですけれども。

(吉川) 
そういうことです。今、お話になったことは、例えば社会科学にも当てはまるのです。例えば哲学というのは、カントの哲学というのはテキストとして存在します。今、ずっと何年か経ってウィトゲンシュタインが哲学書を書いた。当然影響を受けているのだけれども、それはウィトゲンシュタインの全集としてしか残らないです。これがですから、われわれは共通の、例えば理学における研究をたくさんの人がやって、1つ、Disciplineになっていくという構造をまだとっていないわけです。人間の知識のすぐ隣にですから、哲学なんていうものがあるのです。しかしいずれ、哲学もそういう集約をして、ある種の共通の記憶可能、伝達可能なかたちになる努力を今、しているわけです。ですから非常に現代的な問題として、お話のように物語、テキストというものしか書けないのをどうやって圧縮し、法則というものにして次世代に伝えるかですけれども、もう哲学書は誰も読まなくなりました。あれはですからもう駄目なのです。いくら哲学書を書いても、もう無限に爆発しちゃっているわけ。これこそ人類の滅亡ですよね。過去の努力が継承できなくなっちゃうでしょう。継承するためには、理学のように、それを圧縮して、小さな教科書でカントもウィトゲンシュタインも全部学べるようにしなければいけないです。それはいったい何なのか、われわれ知らないですけれども、それをやらないと、過去の人類の知識を、世代を通じて伝承できない。それはですから基礎研究です。それを非常に共通する理由で、まさに今、お話になったようにそれは現代的な問題なのですね。



 
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