The Takeda Award 理事長メッセージ 受賞者 選考理由書 授賞式 武田賞フォーラム
2001
受賞者
講演録
フリードリヒ・シュミット・ブレーク
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フリードリヒ・シュミット・ブレーク
   
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親愛なる武田計測先端知財団の皆様、日本の友人、そして今日会場にお越しの皆様。私が日本に初めて来てから、もう42年にもなります。そして、私はこの国が大好きになりました。私はここに再度来ることができて非常に幸せです。ここで、皆様のご好意にお礼を申し上げます。特に、この技術に基づいた賞をいただき非常に光栄であると思っております。私の祖父はゼッペリンの最初のエンジニアでしたが、その祖父もこのことを聞けば非常に喜んだことと思います。

まず私は、私のよき友人でありますシャーウッド・ローランド氏の業績について少し述べたいと思います。同氏はノーベル賞受賞者で、アメリカ合衆国で私は彼の下で4年間仕事をしました。皆さんの中にはご存知の方もいらっしゃると思いますが、同氏は環境分野でノーベル賞を受賞した最初の人物であります。その独創的な研究実験から、フロンが大量に大気中に放出されると問題となることを突き止めたのが、ローランド氏です。フロンは毒性がなく、非常に非活性な物質として知られていたにもかかわらず、地球の自然オゾン層に悪影響を与えます。現在では、同氏が正しかったことはだれもが知っています。

私がここで言いたいのは、ノーベル賞がしばしば、より広い問題の中である特定の分野での基礎的知識を深めたという業績に対して与えられるということに意義があると思うからです。ローランド氏の場合、その焦点は、特定の物質に当てられ、経済的活動をそのまま続けた場合に排出されるその物質の量が環境に与える影響を明確にしました。この重要な発見は、何万という他の合成化学物質の環境にたいする影響には、ほとんど適用できません。彼の発見は、予防のための政策やあるべき経済活動に関して、新しい展望をもたらすというものではありませんでした。つまり、ローランド氏のすばらしい科学的発見が全体に及ぼした影響は限られたものでした。

1989年9月、私がウィーン近くのルクセンブルグの「応用システム分析国際研究所(International Institute for Applied Systems Analysis)」で仕事をしており、ソビエト連邦とその同盟国の経済改革に携わっていた時、ゴルバチェフ大統領の主任経済アドバイザーであった、科学者のシャタリン氏の訪問を受けたことがありました。その夜、私は、マーケット、労働市場、価格そしてソビエトの現状に関したすべての経済的問題の検討に加えて、環境についての法律制定についても協議しようと提案しました。彼は少し考えた後、次のように述べました。「私達はそうすべきではないと思う。ロシアは金持ちではない。最初にしなければならないのは、市場経済をどのように運営するかを学ぶことだ。そして、私達が金持ちになったら、君達がOECD諸国で行ったように、環境について考えてみようではないか。」

その答えは私を非常に不安にさせました。なぜなら、私は、長年にわたり法律の制定に関わってきており、そして、化学物質の規制に関する法律制定に携わってきたからです。ソビエト連邦は資源が豊富な国であると共に、非常に豊な科学的基礎を持っています。まさしく、そのソビエト連邦が、私達の−素晴らしいと信じている−OECD主導の環境法制定に従うような資金を持っていないのであれば、他の150から160もの国々はどうなるのでしょう?ここで思い出していただきたいのは、それが、ブラントランド委員会(Brundtland Commission)の"Our Common Future"という本が出版されてからたった2年しか経っていない時だったということです。西欧諸国においては、新しいグローバル・コンセプトである「持続可能性(sustainability)」を検討することに忙しく、そして私達の環境法制定とその献身的な努力に力を得て、私達がすでにその方向に向かっていることに疑いを持つ者などいなかったのです。

そんな折、ソビエト連邦で最も著名な経済学者であり、ロシアのほとんどの経済学者がそうであるように、学識のある数学者でもある人物が「そんなことは知ったことか。私達は君達の法律には従うことはできないんだ」と言うのを私は聞いたのでした。私達が考える環境保護がほとんどの国にとっては高価すぎるものであり、したがって「輸出」が不可能で、グローバル化できないような状態で、経済的持続可能性ついて話しをすることが、それを望んだとしても、どうやしてできるでしょう?

ここで、最近の出来事についてお話ししましょう。明らかに、これはアメリカ合衆国にとってさえ、高価すぎる政策なのです。ブッシュ氏大統領は、2001年の3月に、米国は京都議定書を批准するつもりがないことを明らかにし、単純にこう言いました。「私達にはその余裕がない。それには大きな失業問題が発生するであろうし、したがって経済的に実行不可能である。」

ルクセンブルグに戻り、私は自分自身に問いました。「あきらめたらどうだ?事実、これが世界の進む方向なのであれば、持続可能性についてなんかもう話しをしないで、日々の生活を続けたほうがいいじゃないか。」しかし、その時私は、皆さんがするであろうことをしたのです。私は、環境を保護する別の方法があるかという疑問について考え始めたのです。

その時に起きたことは、新しい洞察とアイデアが生まれる機が熟していれる時には、よくあることでした。私は自分自身に単純に問いました。「つまりだ、経済活動のアウトプット側、つまり排出物や廃棄物をコントロールする余裕がないのであれば、インプット側をコントロールすればいいではないか?」
 
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