The Takeda Award 理事長メッセージ 受賞者 選考理由書 授賞式 武田賞フォーラム
2002
受賞者
講演録
畚野信義
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Q&A






畚野信義
 
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質疑応答

質問1:
先ほどのElachiさんと同じ質問をしたいのですが。70年代から始められて、実際実現したのは97年ですか、その間にこの成果が出そうだなと確信を持てた時期というのはいつ頃で、それはどういうことが契機になっているかをお話いただければと思います。

畚野:
一番初め、今言われたように4分の1世紀も昔だったものですから、一番初めに地上のレーダのデータで、これを覚えておいてほしいと言いましたが、当時のエレクトロニクスの技術レベルは、あのくらいだったのです。今最後にTRMMのレーダのデータを見ていただいて雲泥の差でした。あの当時からああいうすばらしいものが出るとは、とても我々は思っていませんでした。地上のでっかいレーダをどういうふうにして衛星に載っけるかという自信もありませんでした。いまの田中さんの質問で、いつの時点から自信が持てたかといわれたら、これは多分、1997年の終わりに衛星が上がって、先ほどお見せした最初のデータを見たときだったと思うのです、それまでは本当に自信がなかった。実は、私は先ほど言いましたように40年以上にわたって宇宙開発にかかわってきました。昔は観測ロケットがものすごくたくさんありましたから、観測ロケットに数十機から百機近く関わってきたし、衛星も、通信衛星などあらゆるものを含めますと十機以上にかかわってきたのですが、その中で予定通り完全に成功したというのは、正直な話半分あるかないかです。ロケットはうまく上がったけど観測機がうまく動かなかったとか、昔の観測ロケットでは蓋が開かなかったとか、テレメータがデータを送ってこなかったとか、いろいろあるわけです。ましてや期待した以上に良い成果が得られたというのはこれが唯一です。

司会者(安岡):
先ほどもご紹介しましたようにこれから水乃時代という風に言われて,かなり多くの国でこういう衛星を使って降雨を観測するということが考えられていると思いますが、この研究を進められた通信総合技術研究所が、これから次にどういうふうなプロジェクトを持っておられて、どういうふうに進めていかれるかということに対してもしアイデアがございましたら、ご紹介いただければと思います。

畚野:
私は通信総合研究所をリタイアして、もう9年半になりますので、彼らにツベコベ言う権利もないのですが、先ほど言いました、これも日米共同のTRMMフォロー・オンのGPMグローバル・プレシピテーション・メジャメントというプロジェクトで、この前載せられなかった高い周波数のものを含めた、二周波レーダを中心になって開発していると聞いています。その分野はやはり一番力があると思いますし、これからは今まで測れなかったようなものを測る、可視赤外では見えないが電波では見える、電波もどんどん上の方にゆきますとミリ波からもっと短い方にいって水だけではなくて地球のさまざまな環境汚染状況やその原因のエレメントも測れるようなると期待されます。通信総合研究所というのは、もともといわゆる地球自身の環境だとか気象だとかそういうところの専門家が割に少ないが、電磁波の性質の研究やそれを利用した計測の技術に高いポテンシャルを持っていますから、やはり今までできなかったことができる観測機器の開発や、それを利用した計測技術などの研究を中心に進んでゆくのかなとは思っております。

質問2:
我々気象の人間は、地上のレーダで台風とか雨を観測することの重要性は非常によく知っていました。また、衛星にレーダを載せて世界中を一体観測し、人間が住んでいる場所で、洪水が起こったり、雨が降らなかったりするところの雨を測るということは考えますが、衛星で海上を測ることの意義は、70年代には必ずしもはっきりは意識していなかったのですが、そういう時代にどうして衛星からレーダで雨を測ってみようと思われたのか、そこをお伺いしたいということが一つと、もう一点はさっきもう既にお話になったかもしれないのですが、本当に地上にあるレーダを衛星に積むということを最初は考えておられたのでしょうか。

畚野:
始めは、今お話しましたように、そんなに高尚なことを最初から思っていたわけではないんです。一つはポスト衛星通信のプロジェクトで何をやるかというときに、その当時我々がレーダで雨を定量的に測るとことに、一番経験も実績もあるのではないかということで、これをなんとかものにしたいということ、それから当時のリモートセンシングでグローバルに測れていないものの中の重要なものに気圧とか雨があったので、ちょうど雨を測ろうかなということになりました。
もう一つ私がリモートセンシングをやろうと決めましたのは一番初めに話しましたようにランドサットの最初のアーツの時代の写真を見たときの強い印象が大きく働いていました。宇宙から世界中を見ると、今まで見えなかったものが見える、今までと違うことが将来に向かって何かわかってくるのではないかと思ったという漠然としたもので、それほど先を見通したものではなかったと思います。ただ、人のやっていないことをやろうと、意地になってずっと旗を振ってきたように思います。
それから二つ目のやつは、あのままのデッカイものをそのまま衛星に載っけようなどとは思ってはいなかったのですが、どこまで小さくできるかというのは、技術的には、やればできないことはないとは思っていましたけれども、当時の日本の技術レベルというか衛星搭載の経験から言って、どこまでいけるか、いつの時点でいけるかというのはあまり自信がなかったですね。今、松野先生から質問がありましたので、ついでにご紹介しておきますと、私もそういうようにエンジニアリングの側からこれにアプローチしたものですから、これを実際に完成して、もし衛星が上がってグローバルに雨が測れるとしても、これを使ってもらわないとしかたがないのです。やっぱり一番のユーザは気象関係だろうと思ったのですが、気象庁というのは現業官庁でなかなかそうモビリティがよくないのです。当時私のところにいました、いま名古屋大学にいる中村君という研究者に、誰かいい人おらんかと聞いた時に、僕の先生というので松野さんを紹介してくれた。松野さんを味方につけたのが僕の勝ちの、一つの大きな理由だったなと思っています。







 
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