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第12回レポート
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第12回リーフレット

第12回 カフェ・デ・サイエンス


講師: 織田孝幸(おだ・たかゆき)
楠岡成雄(くすおか・しげお)
日時: 2006年12月11日



数学カフェ 「確率の話」 BACK NEXT

三井:アインシュタインの有名な言葉がありますね。「神はサイコロを振らない」と。

楠岡:確率と統計は表と裏だという説明をしてきましたが、歴史的には全く違うということを申し上げたいと思います。先ずは、現在の統計の一つの出発点になるもので、グラウント(John Graunt, 1620-1674)という人が人口統計みたいなものを作っていました。先程言いましたように、ハレーも死亡率を作りました。そのとき、グラウントやハレーはどう思っていたか。

統計学に関して、ズュースミルヒ(Johann Peter Sussmilch、1707-1767)という人が書いた有名な本があります。タイトルは『神の秩序』というもので、すなわち、神様が何人死ぬというように設計したというわけです。

その当時、既に確率はありました。確率をやっていた人達は、ヨーロッパの貴族ですね。主として賭場で、酒を飲みながら、議論していました。そこに、パスカル(Blaise Pascal, 1623-1662)とかフェルマー(Pierre de Fermat, 1601-1665)とかいう偉い人が出てくると、相当高度な議論になるんですが、要は博打の話に過ぎません。

それが、ラプラス以降、特に、19世紀に、ケトレー(Adolphe Quetelet, 1796-1874)という人が出てきて、「統計論の基礎は確率論にあり」と言明しました。19世紀のヨーロッパというのは、「神が死んだ」と言われて、神の評判は悪かった時代ですが、その時に、神という概念から解き放たれたという経緯があります。ヨーロッパなどでは、今でも神の存在を信じている方がたくさんいるかもしれませんが、少なくとも、統計と確率が結びついた段階で、既に、神への冒?に近いのです。

織田:私が知っているドイツ人の数学者は、皆、教会税を取られるのが嫌だから、教会を離れております。ドイツの制度では、教会の税金は「10分の1税」といって、政府が代行して集めているんですよ。それがバカにならないので、教会へ行くのを止めたわけです。

数学は、どこの国でも理解可能だから、数学者にとっては、神様を信じる信じないは、あまり関係がないのではないかと思います。

また、アインシュタインが言ったのは、たとえ話です。量子力学で確率式のようなものを使って何かやる話は、彼の主義主張に反したものだったから、それを比喩的に言ったのだと思います。

>>>量子力学と言えば、「シュレジンガーの猫」の話で、蓋を開けたときに、猫が死んでいるか生きているかという不確定な状況において、確率というのは、今の時点を中心にして、その前後を確率として見るんでしょうか。

楠岡:話が量子力学に及ぶと、ちょっと厄介なのですが、実は、量子力学で言う確率と、我々がやっている確率とは、違う確率です。たとえば、最初に投げた賽の目が1で、二回目が3であるとすると、我々は、1と3が両方ある確率がいくらかということも論じることができます。ところが、量子力学では、位置と運動量を同時に論じられません。非可換の確率論とか量子確率論と呼んでいます。実は、私は、かなり長い間、そういうことを勉強しましたが、結論は、「量子力学はよく分からん」ということです。

織田:「シュレジンガーの猫」というのは、レトリックのせいもあると思うんですよね。たとえば、私が、皆さんと分かれて一時間後に、生きているか死んでいるかは分からないわけです。古典力学の世界だって、あるところは予測不可能なわけです。古典力学からでも量子状態をいろいろ重ね合わせて、大きな安定性をもっているから、私が一時間後に死んでいる確率は非常に小さいわけですね。猫の場合は、原子過程を孕んでいるから、死んでいる確率が1/2とかになる。それだけの話です。つまり、状況が明らかではないので分からないから、予測不可能というレベルは同じだけど、それこそ確率の問題で、死んでいる確率はすごく小さいんです。

楠岡:ちょっと違うんです。「シュレジンガーの猫」というのは、明らかにシュレジンガーが量子力学を批判して作った例えですが、蓋を開ける前は、波動関数という形で・・・。

織田:波動関数じゃないですよ。

楠岡:いや、蓋を空けた途端に、波動関数は収縮するということなんです。これは観測理論で、シュレジンガーがそれを批判したわけです。たとえば、サイコロを振りますね。そして、何かを被せておきます。何かの目が出ているけども、我々は知らないと言います。ところが、量子力学では、開けるまでは、どういう目が出ているか分からない状態、つまり、波動関数の状態になっていると言うわけです。

織田:それは、猫以前の問題・・・。

楠岡:シュレジンガーが言っているのは、「猫が、そんな状態であるはずはないじゃないか」と。猫は半死半生の状態なのだというジョークがありますが、これは、シュレジンガーが量子論を批判して、量子力学が言っていることをそのまま手繰ると、そこまで行ってしまうことになると。

織田:だから、それは猫の波動関数の話になってしまう。

楠岡:そうです。

(お二人の白熱した「議論」が展開しました・・・)

三井:何か恐れていた状態になったような(笑)。何か、ここで素朴な質問をして下さる方はありませんか。

>>>文系で経営関係をやっています。人間が絡んだものに対する確率と、自然なものの確率というのは、かなり性質が違うと捉えているんですが、それでよろしいのでしょうか。

楠岡:基本的にそれで結構だと思います。ただし、そこに文学部の哲学科の先生方が登場することになります。

確率というのは主観だという話は、19世紀に統計力学がでてきて、話が変わってきます。そこには、確率分布やギブス分布といった分布が登場しますから、非常に多くの実験結果があって、ボルツマン(Ludwig Boltzmann, 1844-1906)達は、そこに現れる確率は、客観としか言い様のない確率だと考えたわけです。

ところが、人間の判断のようなものは、どこにも客観性を求めることはできません。では、分ければいいじゃないかということになりますけど、主観と客観の両方が絡み合う状況というのは、いくらでもつくり出すことができるわけで、遂には、確率は主観か客観かという話に入っていきます。哲学科の先生に聞きますと、だいたい20〜30年毎に主観論が強くなるそうで、つまり、コロコロ変わっていくわけですね。だから、客観確率は無いという人も、今なお存在しています。統計力学の確率も含めて、あれを主観だと主張する人もおります。その辺になると、私はもう理解できない。「確率は何ですか」と問われたら、私は極端な場合しか見ていませんので、それが絡んだときにどう考えていいのか、私が答えられるものではありません。

織田:そういう話は私にもあります。数の話に戻りますが、個数とか人数というのは主観なのか客観なのかも同じ。ちょっと考えてみて下さい。確率の問題も同じです。

>>>サイコロと神様という話で思いついたのですが、サイコロのそれぞれの目が出る確率を守っている6人の神様がおられて、それぞれ同格であると考えます。そうすると、それぞれの目が出てくる確率は限りなく1/6という値に近づくであろうということが分かると思います。また、サイコロを振るのは、何かが起こって困ったり嘆いたりする人間だけであって、やはり、神はサイコロを振る必要はないですね。

三井:何でそこで神様が出てこないといけないのか、私にはちょっと分かりませんでしたけれど、客観という場合には、計算して数値が出ますよね。それに、人が確率だと認めるか認めないかというところにギャップが出てくるのではないかと思います。

織田:少し基本的な問題で、人間が作った理論と現実が合っているかどうかという話をします。最も良い例は、ニュートン力学です。ラプラスという人は、木星の衛星か何かの軌道を、摂動法という方法で計算しているということが、全集に書いてあります。彼は、制限三体問題というのを使って、13桁か14桁まで計算しています。一方で、やはり14桁くらいの観測データがあります。計算した結果と観測データを比べてみると、それが11桁まで合っているのです。全集には、そこにビックリマークが描いてある。測定をやっている方はご存知だと思いますが、5桁の精度を出すのも非常に難しいわけです。11桁まで合っていれば、これはほとんど誤差がないのと同じです。そういう意味でニュートン力学の信頼度は深まったのですが、元々、ニュートン力学をつくっている微積分と現実の惑星の運動との間には、何の必然性もないわけです。理論と現実の間が繋がっているかどうかというのは、人間の直感で判断するしかないのです。

特に、数学でつくった確率の理論が現実に合っているかどうかというのは、なかなか難しいところがあります。ニュートン力学の判定は、イエスかノーかではっきりしますが、確率論を使う状況では、「それは真か偽か」と理論が判定するのは非常に難しい。それが話が紛糾する理由の一つだと思います。


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