西村先生講演
1.経済のための研究と学問のための研究
2.利潤を生み出す仕組み
3.死の谷あるいは悪夢
4.生活者にとって解決すべき問題の設定からはじめる研究開発
5.研究のための研究
6.二つの価値を区別すべき


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[図 12]

[図 13]

[図 14]

[図 15]

[図 16]

[図 17]

[図 18]
3.死の谷あるいは悪夢

 この非平衡を意図的につくりだすというのは、実はシュムペーターが100 年前に既に書いていて、そのことをシュムペーターは新結合と呼んでおります。(図12) この新結合を実行する人のことをシュムペーターはウンターネーマーと呼んでいます。
ただここで、先ほど水槽の絵で、水位をもう1回あげるというのが研究の役割だという話をしたのですが、実はそれだけでは十分ではない。さっきの遠隔地貿易の話で言えば、価格体系に差のある2つの共同体を、貿易をする人はそこをつなぐわけです。(図13) シュムペーター自身が言っている例で言うと、駅馬車に対して鉄道システムを導入することが新結合なのであって、蒸気機関車を発明することは、それだけでは新結合ではないとシュムペーターは言っています。
ここで死の谷が関係してくる。(図14) 通常言われている死の谷と、吉川先生の悪夢の時代の部分がどう関係しているか。現在、通常死の谷と言われているのは、研究成果をあげる(知を創造する)ということと、その実用化と言いますか、経済的でもいいですし社会的価値、つまりDisciplineの外での生活者のための価値、これを実現する、その2つの間には大きな谷がある、難しいという議論です。これは、NEDOでもずいぶん議論になりました。NEDOではたくさんのお金をいろいろなところに出していて、最後に事後評価をするとこうなります。論文がたくさん出た、特許もそこそこ出た、でも誰も使わない。こう終わるのが圧倒的に多い。
これだけ論文も出た、特許も出たのだから成功としましょうよということで終わることが多いのです。それに対して私は、評価を足し算でなくてかけ算にしようという議論をしています。研究成果をあげたとしても、文部科学省なら別かも知れませんが、少なくともNEDOがやる以上は、後の実用化のほうが少しもない、そこがゼロなら全体もゼロだということにしてしまえと私は言っておりまして、ひんしゅくを買っております。
 このことと2000年に出たクリステンセンのイノベーションのジレンマの問題が、いろいろなかたちで議論の対象になってきています。(図15) イノベーションのジレンマは、いちばん中心のケーススタディはハードディスクでやっているわけです。5インチのハードディスクを使って、ちゃんとしたコンピューターシステムを組んでいる会社、それはハードディスクの会社から言えばお客さまです。ハードディスクをつくっている会社が、いい性能の5インチのハードディスクをつくっていて、しっかりしたお客さんがいます。そのお客さんのところへ性能は悪い、遅くて容量の小さい3インチのハードディスクを持っていくと、今の5インチのお客さんは必ずいらないと言います。それで欲しいのはもっといい5インチだと、もっと密度が高い、もっと速度の速い5インチを持ってこいと、今のお客さんは言います。そうすると、今のお客さんに忠実であろうとすれば、今、大企業だということは今、商売が順調でいいお客さんがいて、いい株主もついているような会社は5インチのハードディスクで成功しているわけですから、その会社が3インチのハードディスクを持っていっても、今のお客さんはいらないと言います。今のお客さんがいらないようなことに手を出すと株主は怒るという、そういう構造があって、成功している大企業が今の仕事に忠実であろうとすれば、破壊的なイノベーションには手を出せないし、むしろ出すべきではない。こういう議論をクリステンセンが2000年にしていまして、これもずいぶん話題になっている本です。
 余談ですが、日本の大企業はこれができます。なぜかというと、株主がおとなくして文句を言わないでいたからなのです。日本の場合に私がいつも例を出しているのは半導体なのですが、日本の半導体メーカーはみんな昔、真空管をつくっていたところです。アメリカにはこういう会社はありません。真空管をつくっていた会社が、非常に破壊的なイノベーションである半導体に手を出して、何年もの間赤字を出していられたのは、日本の株主がおとなしいからだという話が、このところずいぶん出てきています。今は日本の株主も次第にうるさくなっていますので、これからは日本の大企業も破壊的イノベーションには手を出せなくなるだろうと思われます。同じ理由で、中央研究所というのが維持できなくなるということがあります。現在の機関投資家たち、生命保険や年金基金等の人たちというのは、その会社が何をやっているかほとんど関心がなくて、基金の運用だけの関心でお金で動かしてしまうので、日本もだんだん同じような構造になっていくだろうと言われてきています。そこで破壊的イノベーションができるのは、やはりアントルプルヌールなのだということが、クリステンセンの議論の延長としては出てくるわけです。
 死の谷をさっきの水槽モデルで書いてみたのが、これです。(図16) 水位に差はあります。しかしつながっていないという状態です。これが死の谷がある状態です。未来の価値という、利潤の源泉である差はある。けれども、つながっていない、こういうときには、これをつなげるという仕事があるはずで、(図17) そうするとこれをつなぐという仕事をして初めて、この水位の差が現実の流れになります。この段階ではポテンシャルはある、ポテンシャルエネルギーはあるのだけれども、カイネティックエネルギーにはなっていないという状態、これをカイネティックエネルギーにするところに別の仕事がある。差をつくりだすというのは、知を生み出す仕事です。差のあるところをつなぐという仕事、これが別にあります。
貿易の例では、貿易商が物を現実に運びます。そこには当然リスクがあるし、お金も必要になるわけです。ここのつなぐというところがアントルプルヌールの仕事なのではないかと思います。この財団の仕事との関係で言えば、知を生み出すだけでは十分ではなくて、そこをつなぐというところに価値を認め、顕彰する。「つなぐ」仕事にはリスクがある。リスクだけではなくて、お金がいります。
 そういう意味で死の谷を越えていくのは、大企業の仕事であるよりはむしろアントルプルヌールの仕事です。あるいはアントルプルヌールとベンチャーキャピタルの仕事です。3インチのハードディスクを必要とするのは、現在、大をなしているコンピューターメーカーではなくて、まったく新しい市場をつくる人たちだということです。  先ほどの評価はかけ算でやろうと提案しています。未来と現在との差と、それを現在価値へ持ってくる、この2つの仕事が必要で、そのかけ算がないと現実の生活者の価値は実現しない。(図18) 別の言い方をすると、知を生み出す仕事とアントルプルヌールシップの仕事と、この2つのかけ算があって、現実的な価値が実現する。片方ゼロなら、かけ算するとゼロ。NEDOでもこれで評価しようよと言っているところです。



 
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