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主催者挨拶


財団法人武田計測先端知財団  理事長
武田 郁夫



  本日は、大変大勢の方がおいでくださいまして、ありがとうございます。まずは、主催者を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。武田計測先端知財団の理念として掲げております、生活者の視点に立った科学技術の振興について、本日はおもしろいお話をお聞きになれると思います。皆様、どうぞご期待ください。私のほうからもご挨拶に代えまして大変古い話でございますけれども、そのサンプルと思われる事例をご紹介したいと思っております。

  昭和45年のころでございますが、アメリカでマスキー法が制定されました。マスキー法とは自動車の排ガス規制でございます。これに対し、アメリカ、日本をはじめ、世界の自動車メーカーは現行の内燃機関では技術的に不可能と、規制に猛反対いたしました。その中にあって、まだ小さい会社であった本田技研ではありますが、即座に技術的に可能だと答えることができたのであります。初代本田宗一郎社長は、若い技術者に檄を飛ばして、一丸となってマスキー法をクリアしたエンジンの開発に駆け出しました。本田宗一郎は、チャンス到来と考えていたようであります。その後わずか3年で、いち早くCVCCを搭載したシヴィックを発表することができました。四輪車の市場で世界初の開発を成し遂げたのであります。私も会社を創業した当時で、この偉大な経営者を目の辺りにいたしまして感激したわけでございます。

  ホンダが世界でいち早くマスキー法をクリアすることができた背景には、その長期にわたる、これは二輪車時代からでございますが、エンジンの燃焼の基本的な研究があったのでございます。さかのぼること55年ほどでしょうか、昭和29年、当時の日本は、オートバイメーカーが133社もございました。これはバイクの戦国時代でもございました。そのころのオートバイは全て2サイクルエンジンといわれておりまして、それはなぜかといいますと、小型・軽量で馬力が出ると、構造もシンプルで製造コストが割安というメリットがあったからだと想像しております。

  これに対しまして、本田宗一郎は、すでに昭和25年ごろから4サイクルエンジンの研究にとりかかっていました。昭和25年といいますと、まだ私が創業しないときでございますが、すなわち空気とガスの吸入、圧縮、爆発、排気の4工程をピストン2往復でやろうというわけであります。4サイクルエンジンのほうが、コストはかかるけれども、結果的には2サイクルエンジンよりも馬力が出て燃焼効率は高くなる。それに、静かで、排気煙も少ないからそれでいけるはずだと。まぁ、どこもやってないと、二輪には使ってないということで、本田宗一郎は、そこに着眼した次第であります。オートバイを使う側の立場に立った基本的な技術として、本田宗一郎は、エンジンの燃焼というものの基礎研究をしっかりやっていこうと考えていたわけでございます。

  昭和29年、満を持して本田宗一郎は、これを若い河島技師に図面化をさせて日本発の4サイクルエンジンの本格的な開発に乗り出しました。結果、同年、早くもオートバイレースの聖地、英国マン島レースへのホンダの出場を宣言し、昭和30年にはバイクの生産台数日本ナンバーワンの達成へとホンダを導くことになったのでございます。

  この開発には、なんとしても、エンジンの中でのガスと空気の燃焼の基礎研究が必要でした。当時、私の創業したタケダ理研工業は練馬の旭町にあり、和光市にホンダの技術研究所がございまして、帰宅するときにその社員と成増の飲み屋街で席を共にしたことがございます。そこで耳にしたのは、ホンダの研究所ではガソリンが完全燃焼していない以上は、もっともっと燃焼の効率は上げられるはずだと、燃焼の基礎研究に立ち返り、大プロジェクトチームを立ち上げて、猛烈に研究をさせているということでした。オートバイで世界一になろうというホンダイズムを私は間近に感じた次第でございます。その当時、まだ昭和29年に会社を創ったわけでございますが、私も日本一になろう、世界一というところまではいかないのですが、日本一になろうとしていたときでございまして、他社のこととはいえ、このホンダイズムにぞくぞくとした実感を持った次第でございます。

このときの4サイクルエンジンの技術が、先ほど申し上げました、マスキー法のクリアの達成へと後につながってゆくわけでございます。いち早く研究にとりかかった昭和25年ごろから昭和48年のシヴィックの開発まで、実に23年間、吉川先生の強調されておられます、第二種の基礎研究ともいうべき取り組みが成されたのではないかと思っております。この長期にわたる基礎研究があってこそ、ホンダの礎は築かれたと思います。

  現在のホンダ社長の福井氏は昨年の日経ビジネス誌のインタビューに答えて、企業の姿として生活者の単なるニーズではなく、生活者の本質的な欲求、ウォンツに答えうる製品も生み出すには、規制や他社の動向ではなくて、本来自分の会社がどうあるべきかとういう姿勢が重要だといわれております。企業には売り上げそのもよりもお客や社会に対する責任みたいなもの、これをもっと上位概念に置いて会社のベクトルをそちらに持っていくことが大事だと言っておられます。

  私の申し上げたいことは、ちょうどそれに重なることでございます。私も会社を創業した人間として実感することなのですが、富を供給するのは企業側ですが、豊かなのか幸せなのかを判断し、富であるかないかを判断しているのは、それを感ずる主体である生活者一人一人であると私は思っております。決して供給する会社側ではなくて、企業側、供給者側にのみ立っていると、どうしてもそこに誤った金儲け主義というものに陥ってしまうと思うのであります。

  本日は、科学と技術の第一線で、生活者のための富を創造しようと奮闘しておられる方々をゲストにお迎えしました。全世界の人口はいまや63億人といわれております。その全人類の社会的価値と富とを創造するための科学者、技術者、そして生活者、企業の役割について、またその責任と誇りについて考えてまいりたいと思います。本日は、皆様と一緒に考えていきますことを楽しみにしておる次第でございます。つたない挨拶でございますが、昔話で代えさせていただきます。よろしくお願いします。

Last modified 2004.3.1 Copyright(c)2002 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.