The Takeda Award 理事長メッセージ 受賞者 選考理由書 授賞式 武田賞フォーラム
2001
受賞者
講演録
リチャード・M・ストールマン
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Q & A





リチャード・M・ストールマン
   
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皆さんのほとんどはソフトウェアの開発をすることはないと思いますが、しかし、ほとんどの方は料理をされるでしょう。そして、料理をする場合、同じように料理好きな友人とレシピを交換したりしたことがあるでしょう。また、レシピを変更したこともあるでしょう。例えば、あなたがレシピを見て料理する時、少し違った材料を使ったり、作りかたを変えたりしたことがあるでしょう。そして、レシピを変更して、その料理を友人にごちそうしてあげて、友人がその料理を気に入り、あなたに「このレシピを教えて」と言うことがあるでしょう。あなたは、あなたのバージョンのレシピを書いて、それを友人にあげたことがあるでしょう。これは普通のことです。そういったことはみなさんがレシピに関してすることなのです。

では、レシピを変更できないような世界を考えてみてください。つまり、レシピを変更したりすることができない場合や、なんらかの理由であなたに対してはレシピに「カギ」がかけられていたり、そのレシピで使われている材料さえもわからない場合です。あなたがレシピをお友達に教えてあげると、警察があなたを「権利侵害者」と呼び、刑務所に入れるような世界を想像してみてください。シェフが彼のレシピを公開するということに対してはだれもそのシェフを刑務所に入れるよう脅かしたりはしませんが、しかし、ほとんどのソフトウェア・ユーザの世界は、まさしく警察がそのユーザを「権利侵害者」と呼んで刑務所に入れると脅かす世界なのです。その世界とは、著作権のあるソフトウェアの世界で、人々は、お互いに協力することが禁止されているのです。

一方にフリー・ソフトウェアがあります。「フリー」とは、自由ということを意味し、日本語では常に「自由な」と訳されるべきです。これは値段とは関係のないことです。値段は問題ではないのです。問題は、あなたは何ができるかということ、つまり、ソフトウェアを使う上で、あなたがどのような自由を持っているかなのです。フリー・ソフトウェアは、現在、あなたが人にあげたり、変更したりするレシピのようなものです。著作権の付いたソフトウェアは、あなたがレシピを他人と共有するのをやめさせようとする組織により脅かされる架空の世界のようなものです。

では、なぜ私はこの問題に注目したのでしょう?私は、自分自身でこの問題に注目し始めたのではありません。私はラッキーでした。1970年代、私はプログラマ達のコミュニティの一員でした。ソフトウェアをあげたりもらったりするのは、生活の一部でした。このコミュニティでは、プログラムを書くと、それを他人にあげました。私達はそのように生活していたのです。ほとんどの人は、それを政治的な問題にはしませんでした。彼らは、単にそのように生きるのが好きだったのです。私は、私が学んだ自由という理想の下での、つまり、アメリカ合衆国が基づいていた理想の下での、このような生活が気に入っていました。

そして、このコミュニティに脅威が及んだ時、そして、私達のライフスタイルが分裂し始めたとき、私は、このことが政治的な意味合いを持つと感じたのでした。フリー・ソフトウェアはコンピュータが作られた当初から存在していました。私は、自分のコミュニティが破壊された時にフリー・ソフトウェア活動を開始しました。1980年代の初めに、私のコミュニティがかなり陰惨な方法で破壊された時、突如、私は醜い現実の中に取り残されました。私は、オペレーティング・システム・デベロッパーでした。しかし、現在のコンピュータのオペレーティング・システムはすべて所有権があるのです。バイナリー・プログラムを入手するときでさえ、非公開契約に署名することが求められました。私はこのことは間違っていると思いました。道徳的に間違っていると思いました。例えば、あなたが隣人に助けを求めた時、その隣人はあなたを助けないという約束に署名しているということを想像してみてください。それが非公開契約というものです。つまり、誰も助けないという約束なのです。

私のスキルで唯一できる重要で有益なことは、このような状況を変えることであると考えました。なんらかの方法で、人々がお互いに協力し合うことが許されるコミュニティを再び作り上げることです。幸いなことに、私にとってこれを実現できる方法がソフトウェアを書くことでした。ソフトウェアを書くというのが、私がやり方を知っていることだったのです。このことは、私にこの社会的変化を達成できるチャンスがあったことを意味します。

すでにあるソフトウェアは著作権が付いています。それを変更することはいかなる方法によってもできませんでした。そして、私と私に同調する少数の人達にはこれは手に余るものでした。私達には政治的な力もありませんでしたし、また、このソフトウェアを管轄している企業に彼らのポリシーを変更するよう説得することもできませんでした。また、私達は国に対しても法律を変更するよう説得することはできませんでした。

しかし、私達にもできることがあったのです。私達は、著作権付のソフトを使わず、多くのソフトウェアを書こうではないかとみんなに呼びかけることができたのです。私達はフリー・ソフトウェアを書き、それを使います。そして、私達はそれにより自由になるのです。自由になることを夢見てアメリカ合衆国に移り住んだ人達のように、そして抑圧的な支配の下にある国から逃れるように、私達は、サイバースペースで「新大陸」に移り住んだのです。しかし、その「新大陸」とは私達が創り上げたものなのです。幸いなことに、そこには「アメリカ・インディアン達」はいませんでした。彼らから「大陸」を「盗む」ことをしなくてもよかったのです。なぜなら、その「大陸」は新しく、そこには誰も住んでいなかったからです。
 
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