The Takeda Award 理事長メッセージ 受賞者 選考理由書 授賞式 武田賞フォーラム
2001
受賞者
講演録
リチャード・M・ストールマン
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Q & A





リチャード・M・ストールマン
   

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−ストールマン氏質疑応答−

垂井: ではここでストールマンさんへの質疑応答に入らせていただきたいと思います。

参加者A: フリーソフトウェアとは直接関係のない質問なので、ちょっと恐縮なのですが、ネットワーク、国家によるネットワークの監視について、ストールマンさんに是非この機会にご意見を伺いたいと思います。先ほどの坂村先生のお話の時にストールマンさんが質問されたことと同様のことですが、私も個人的には国家によりネットワークがつながることによって、国家によって行動を監視されてしまうようなことが個人的にはもちろんいけないことだとは思っていました。だけどテロリズム、もしくはテロリストがネットワークを縦横無尽に使うことによって、多くの人々に対して危害を加えると。これは何らかの形で防御しないとまずいのではないかと思います。で、これは非常にジレンマの大きい問題だと思いますが、この点について、ご意見を是非聞かせてください。

Stallman: ネットワークを利用したテロリストの攻撃から、あなたの家の電化製品を守る一つのとても単純な方法は、あなたの電化製品をいかなるネットワークにもつながないことです。実際、これは2000年もの間解決されないでいる矛盾です。「誰が、見張りを見張るのか?」我々は、外敵や、種々のテロリストや、その他の犯罪者から自分を守るために政府に頼らざるを得ません。

同時に、米国や他の国々でそうであるように、政府は我々の自由にとって大いなる脅威です。米国は、我々の自由をぶち壊す様々な法律を通過させました。米国では、必要な書類を提示しなければ、鉄道であれバスであれ、州堺を越えて旅行することすら、許されません。「あなたの書類を見せてください。」という台詞は、独裁政権や警察国家と結び付くものであって、米国とは結び付かないものですよね?ところが、米国でその台詞をしょっちゅう聞かされるのです。ドイツからイタリアに飛ぶ場合、私はパスポートや身分証明書を見せる必要はありませんが、鉄道を利用してボストンからニューヨークに行く場合は、身分証明書の提示を強要されます。こういう状況を見る度に、私は米国に、米軍の占領軍が存在するような気分になります。しかし、この占領軍が米軍であるという事実は、事態を良くするわけではありません。

では、我々はどうすればいいのか?我々個人の情報を誤った用途に使用させないようにする最良の方法は、はなっから情報を集めさせないことだ、と言う人がいます。これは信頼できる方法です。そしてこれが普及するコンピューティングを私が懸念する理由です。なぜなら普及するコンピューティングは、情報が集められることを意味しますし、その誤用を確実に避けることがより困難になることを意味します。だから、私は携帯電話を持ち歩かないのです。私は携帯電話を持っていません。ここでは、借りて持っていますが、通常は持っていません。なぜなら、携帯電話は監視することが可能だからであり、監視されるようになるでしょう。米国では、すべての携帯電話の正確な位置を三基地局から測定する計画があります。そして、その情報はいずれ永続的なデータベースとなり、数年後に警察がチェックすることもできるようになるでしょう。あなた自身は23日の夜にどこにいたか思い出すことができないかもしれませんが、警察はデータベースを見るだけでいいのです。私はそんなことは嫌いです。警察にそんな巨大な力を持たせたくはありません。

垂井: はい、ではそちらの方どうぞ。

参加者B: あの特許、ソフトウェアの特許に関してちょっと掘り下げてお伺いしたいのですが。ストールマンさんのお話の特許の中で、いつも私がいろいろな記事で読ませていただくと、特許という制度そのものがよくないのではないかというふうに僕は解釈をしています。個人的に思うのは、僕自身はやっぱり小さな会社が例えば大資本に負けないために確保するだとか、そういうことで必要なことではないかと思うのです。今、個人的に思うのは、何にでも特許を与えてしまう、その運営が悪いのではないかなあというふうに感じているのですけども。その辺、ストールマンさんはどのようにお考えでしょうか。

Stallman: 残念ながら、それは、真実ではありません。特許は小さな会社を巨大な競合他社から「保護する」ことを助けるのだという神話が広まっています。特許は助けてなどくれません。なぜなら、巨大企業は多くの特許を保有していますし、彼らの一般的な手法は、すべての人に彼らとクロスライセンスを結ばせることにあるからです。我々は、特許システムについて、甘い考えを持っています。つまり、もしあなたが何かを発明したとすれば、それは新しい考案物となり、その考案物の特許ができて、それをあなたが保有する、という考えです。 これは、おそらく1800年代のメカニカルな考案物にとっては、真実だったかもしれません。今日でも、いくつかの分野では、ある程度は真実かもしれません。しかし、ソフトウェアについては、真実から遠くかけ離れています。ソフトウェアにおける真実は、ソフトウェアを書くには、色々なアイデアを使わなければならず、そのアイデアは誰か他の人の特許かもしれないということです。つまり、あなたが、小さな会社でソフトウェアパッケージを開発する場合、あなたは様々な人から特許侵害で訴えられる可能性があるということです。そして、あなたが考え出したこのパッケージにいくつかの新しいアイデアがあったとすると、あなたはそれらについての特許はとれるかもしれませんが、IBMや東芝があなたと競争したいと考えたとすると、彼らには多くの特許があるのです。彼らはおそらく、あなたのプログラムの中で使われている他のアイデアについての特許を持っているでしょう。そしてもし彼らにあなたの特許を使うことをやめさせようとすれば、彼らはこう言うでしょう。「ごらんなさい、我々の保有しているこれだけの特許が、あなたの製品によって、侵害されているのですよ。ですから、我々とクロスライセンスを結んでください。」それで、あなたはクロスライセンスを結びます、そして一旦あなたがそうしてしまえば、彼らは晴れてあなたと競争することができるのです。これが、ソフトウェアの分野では、特許システムが小さな会社を助けることがない理由です。典型的なパッケージはしばしば、大変大きいのです。

製品がより単純だったり、特許化されたアイデアがすでに浸透していて、構成部品をとして購入して使用するような、工学技術の異なる分野では、おそらく特許も有効に働くのでしょう。特許は、異なる分野では異なる影響を及ぼします。そしてそれぞれのニーズに基づいてその分野を判断することが肝心です。全ての分野が同様に扱われるべきだという独断的な前提から、話を始めるのは、合理的なことではありません。

特許がソフトウェアに対してどのように影響するかを理解するのに、最良の例があります。それは、交響曲です。なぜなら、交響曲もとても長く、その中にはたくさんのもの、たくさんの要素が含まれ、あなたが上手く効果を発揮するようにまとめ上げるのに苦労し、書き上げなくてはならない多くの細かいものが含まれているからです。しかし、交響曲の様々な部分に、あなたは様々な音楽的アイデアを使うことになるでしょう。

想像してください。もし、1700年代に欧州の多くの政府が、交響曲の発展を音楽のアイデア特許を許可することによって推進しようとしたら、あなたが考えて言葉にしたどんなアイデアも特許として認められたでしょう。

さて、1800年代に入り、あながたベートーベンだったとします。そしてあなたは、交響曲を書きたい、けれど訴えられたくはないとします。交響曲を書きたいけれど訴えられたくはないということは、素晴らしい交響曲を書くことよりも困難になるでしょう。なぜなら、訴えられるのを避けるには、数千もの特許を避けてあなたの道を通さなければなりませんし、もしベートーベンがこれに文句を言ったとすれば、特許システムの擁護者達はこう言ったでしょう。「ああ、それは単に、あなたに創造力がないからですよ。なぜ、あなた自身のアイデアを出そうとしないのです?」

たまたまベートーベンは、他の作曲家と比べて、たくさんの新しいアイデアを生み出しましたが、これらの新しいアイデアには、古いアイデアが使われざるを得ませんでした。なぜなら古いアイデアが、音楽の言葉を作り上げたからです。もし、ベートーベンがそれらのアイデアを使わなかったならば、彼は誰も理解できないようなもの、誰も聴こうとも思わないようなものを創ることになったでしょう。もしそんなことができたとしても、ゼロからコンピュータ科学の全てを再発明し、まったく違うものを創ることができるほど、優秀な人などいません。そしてもしそれが可能でソフトウェアを開発したとしても、そんなソフトウェアを誰が使うでしょう。「これは、奇妙すぎる。私が使いなれているおなじみの機能がまったくない。これの使い方を学ぶのはいやだな。」そう言われるでしょう。全てに人にコンピュータ科学の全てを再発明するように仕向けるなんてばかげたことです。それは、我々の望んでいることではありません。

垂井: ストールマン博士、どうもありがとうございました。  
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