The Takeda Award 理事長メッセージ 受賞者 選考理由書 授賞式 武田賞フォーラム
2001
受賞者
講演録
リチャード・M・ストールマン
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Q & A





リチャード・M・ストールマン
   

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次の自由は、コピーを再配布する自由です。これは、レシピを料理好きな友人にあげるということに似ています。この自由は必要不可欠です。なぜなら、「善意」という気持ちが社会における最も重要な資源であるからです。社会というのはこの善意、つまり、隣人を助けるために何かをしたいという気持ちで成り立っています。私達は、人々に「今すぐ、隣人に協力せよ!」と強制するべきではありません。しかし、あなたには協力する自由があるべきであり、私達は協力するという気持ちを奨励するべきでしょう。そして、私達が絶対にしてはならないのは、「あなたは協力することを禁じられており、以後絶対に協力してはいけない!」と言うことなのです。このようにすべての人々の間で分断があっては社会は存続することができません。フリー・ソフトウェアの世界では、あなたはソフトウェアを再配布しなければならないとは決して言いませんが、しかし、あなたが希望するのであれば、そうすることができるのです。したがって、私達は、協力を求め、それを奨励し、許可するのです。

さらに、プログラムの改良バージョンを公開する自由があります。したがって、あなたには変更する自由があります。ここで、あなたがこの自由を行使するとします。あなたは、プログラムをあなたにとって都合がいいように変更するとします。この時点で、他の人もあなたの変更したプログラムを欲しがるかもしれません。したがって、あなたにはプログラムの改良バージョンを公開する自由があり、そして、他の人々もあなたの努力から恩恵を受けるようになるのです。ここで分かるのは、これはめずらしいことではないということです。このようなことは常に起きていることなのです。プログラムがフリー・ソフトウェアの場合、それを改良するためにコミュニティの人々全員が協力し合っているのです。そして、その結果、今日のフリー・ソフトウェアは強力で信頼性の高いソフトウェアであるという認識が生まれているのです。このことは、ソフトウェアがもたらす重要な恩恵の一つとなっています。しかし、ここで私が言わなくてはならないのは、それは二次的な恩恵にすぎないということです。第一の恩恵は、道徳的なものであり、実際的なものではないのです。第一の恩恵は「自由」なのです。

さて、フリー・ソフトウェアは、「値段」ではなくて、「自由」であるということを覚えていますか。しかし、そのことはそこにはお金がないということを意味するのではありません。それは「無料」ということを意味しません。フリー・ソフトウェアの分野で商売をするということは完全に合法的なことなのです。フリー・ソフトウェアのコピーを販売するということは完全に合法的なことです。事実、それはあなたに与えられていなければならない自由の一部なのです。つまり、コピーを再配布するという自由です。そして、人々がこれらのコピーに対してお金を支払うような場合、それはそれでいいのです。私は私のフリー・ソフトウェアのコピーを1985年に販売し始めました。しばらくの間、私はそのような方法で生活に必要な収入の多くを得ていました。そして、それ以来、多くの人がフリー・ソフトウェアのコピーを販売しました。現在、GNUやLinuxオペレーティング・システムをパッケージしている有力企業のいくつかは、毎月、何千というコピーを販売しています。

しかし、1985年の10月に私はコピーの販売を止めました。なぜなら、私はフリー・ソフトウェア財団(Free Software Foundation)を設立したからです。このフリー・ソフトウェア財団は、病院や学校あるいは研究組織などと同じように免税慈善事業であり、フリー・ソフトウェアを促進したり、ソフトウェアを変更し再配布する自由を促進するために寄付金を募っています。フリー・ソフトウェア財団がその資金を使って行うことの一つに、プログラマやテクニカル・ライターを雇用したり、GNUシステムをコードとドキュメンテーションの両方で拡張することがあります。このコードとドキュメンテーションというのはGNUシステムにおける2種類の非常に重要な部分です。フリー・ソフトウェア財団は現在GNUソフトウェアのコピーを販売しています。そして、私達は寄付金も受け取っています。うれしいことに、私達は日本からも多額の寄付金を受け取っています。「フリー・ソフトウェア」を使う日本の皆さんは、開発に対して迅速に貢献して下さっています。

そして、私達のコミュニティでの開発は3通りの方法で行われます。まず、フリー・ソフトウェア財団により支援されている開発があります。そして、「フリー・ソフトウェア」に関与している各種企業により支援されている開発があります。さらに、個人のボランティアによる開発があります。しかし、ほとんどの作業が個人のボランティアにより行われています。ボランティアのグループが非常に大きな成果を挙げることができることは以前から証明されていました。事実、現在では、フリー・ソフトウェア・コミュニティが、広く一般に公開されるソフトウェアに対しての人々のニーズに対応できることが明確となっています。「広く一般に」というのは、ごく限定された製品に特定しないという意味で、そして、「公開される」というのは、あなたがコピーにアクセスしてそれを取得し、コンピュータにロードできるということを意味します。現在、世界中で開発されるソフトウェアのほとんどは、「広く一般に公開される」ソフトウェアではありません。そのソフトウェアのほとんどは、非常に限定された使用、それも、通常は1ユーザの作業での使用に限定されています。

このことは異なる問題を引き起こします。「公開されるソフトウェア」では、これらの自由が必要不可欠なのです。ある会社が使用するためにプログラムが開発され、そして、その会社がそのプログラムのすべての権利を所有する場合、彼らは希望するいかなることもできるという自由を持つことになります。ここでは、いかなる重要な自由も拒否されてはいません。プログラムが「公開される」時に問題が発生するのです。あなたがコピーを得るとき、あなたには自由がありますか?これこそが、フリー・ソフトウェアの問題が起きるところなのです。現在TRONが使われている組み込み部分のような所では問題は起きません。
 
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