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第29回レポート
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第29回リーフレット

第29回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  会田薫子(あいた・かおるこ)
  水谷広(みずたに・ひろし)
日時:  2010年5月31日



異端児のみる生命「生命倫理」 BACK NEXT

D: それは難し過ぎて答えられない問題だと思います.

三井: 意識があるかどうかを診断するのも非常に難しいことなのではありませんか.

会田: 実は、神経学の最先端にいる方達にしても、意識が何であるかを定義できていません.もちろん、意識があるかどうかの診断も難しいですね.例えば、55歳の方が、脳動脈瘤が破裂して、くも膜下出血になり、半年経っても意識が戻らないということになると、意識が戻る可能性は統計上非常に小さいということで、遷延性意識障害という名前になります.一般用語では、持続的植物状態と言いますが、診断から六ヶ月未満の場合は持続的とは言いません.ただし、これは神経学の人達の間での約束事に過ぎません.しかも、定義に変動があるのです.

日本では、1970年代に、脳神経外科学会が持続的植物状態の定義をしていますが、その後、定義を更新していません.アメリカ神経学会がその定義と診断項目を決定したのは1990年代でした.ところが、それが出されてすぐに、その定義に当てはまらない事例が幾つも出てきたのです.植物状態だった人が20年ぶりに回復したというニュースがあったりしますが、それは不治の遷延性意識障害ではなくて、最小意識状態だったというわけです.つまり、病院で寝ている間は、植物状態だと思われて、誰も話しかけなかったけれど、実は話かければ少しは分かる状態だったということが、後から初めて分かるという、恐ろしい例が幾つも出てきたのです.このように、意識があるかないかというのは、神経学の最先端でも実に分かり難い問題です.

尊厳死協会の宣言書には、持続的植物状態になったら一切の延命医療を止めて下さいと書かれています.その宣言は、高齢者であればほぼ妥当なのですが、例えば、二十歳で持続的植物状態になった人の場合には、尊厳死の宣言書を持っていても、半年間意識が無いから治療を終えるというのは、今では非常に危険だと思います.

日本医師会も加入している世界医師会は、非常に権威のある組織だと思われています.そこが1960年代に出したヘルシンキ宣言には、生命倫理の原則の基になったインフォームドコンセントという最も重要な概念が盛り込まれています.その世界医師会が、1989年に、持続的植物状態について、ある宣言を出しました.それは、患者が50歳以上で、内因性の原因で半年以上意識が無い場合は、その後で意識が戻る可能性は非常に小さいので、担当医はこの患者の出口を考える責任があるというものでした.ところが、2000年代に入ってから、その宣言は無効にされてしまいました.それくらい、医科学の判断も変動していて、まだどうしてよいか分からない状況だと思います.

大島: 意識があるか無いかの検査は、具体的にどういうことをするのですか.

会田: 意識を判定するテストは、かなりアナログなものもあります.つねったりして、患者に痛み刺激を与えたりします.少し意識のある方は顔をしかめたり、「アー」という声を出したりするわけです.もちろん画像診断もしています.

E: 私の伯母が、脳梗塞で植物状態になりましたが、十ヶ月目頃から、徐々に意識が戻ってきました.最初は少しボーッとしていましたが、数年後には完全に記憶も戻り、当時は55歳でしたが、現在88歳で、元気にしております.家族は、十ヶ月間、ほとんど意識がない状態の伯母に語り続けましたし、マッサージもし続けました.家族が信じて刺激を与え続けていなければ、また、半年で諦めて維持装置を外していたら、今はいなかったことでしょう.

三井: 脳死の判定は、具体的にどういうことをするのでしょうか.脳波を見るというのは知っていますが、脳波というのは一体何なのでしょうか.意識と関係あるのでしょうか.

会田: 日本の脳死判定では、必ず脳波を測定することになっているのですが、脳の電気信号がとれるのは大脳の表面だけですから、脳の中まで機能が停止しているかどうかは脳波では分かりません.アメリカでは、既に脳波を測定しない病院が多くなっています.しかも、集中治療室の中ではいろいろな器械が動いていますから、器械の電気信号を脳波計が拾ってしまうこともあります.日本では、紛らわしい電気信号が入らないような場所に患者を移して、厳しく脳死判定をしています.

画像診断を使って脳に血流がないことも確かめられますが、これは必須の診断ではありません.また、これも結構アナログですが、カテーテルで喉の奥を触ります.脳の働きがある人はこれを排除しようとして咳をします.それから、瞳孔が4ミリ以上に散大し固定していることが脳死の条件の1つなのですが、その場合に、綿棒のようなもので瞳をこすると、脳の機能があれば閉じようとします.他には、上を向いて寝ている状態で、頭を横に向けてやります.脳の機能がある人の瞳は頭を向けた方向とは逆の方向に動きます.

私は救急医療の現場を調べていますが、日本では、臓器ドナーになる場合の法的脳死判定は非常に厳密に行われています.今迄八十数名の方が脳死ドナーになっていますが、法律上脳死ドナーになられた方の脳死判定については、間違っていないと断定できます.しかし、アメリカでの脳死判定は結構いい加減で、誤診も割とあるということです.去年、こうした記事が、非常に権威のある英国のLancetという医学雑誌にも掲載されていました.ちょうど、日本で改正臓器移植法の法案審議をやっていた頃です.日本では、脳死判定は必ず二人以上の専門医がやることになっています.アメリカでもそれがスタンダードなのですが、必ずしもそういうふうにやられていないということも書かれていました.

アメリカの現場の医療者は、厳密な脳死判定をしていないことを、それほど問題にしていないのは、そこまで脳がやられていれば、脳死でなくても、回復しないことは確実なので、死んでいるのと同じだという判断なのです.本人にとって意味のある回復をしないのだから、ドナーになってもらってもよいと考える医療者もいるわけです.しかし、アメリカでいい加減にやられているからといって、日本の救急医は信用できないというのは、間違っていると思います.1960年代の和田移植のマイナス影響が大きいからといって、そのことだけで、医者は丸ごと信用できないと言われたりするのは非常に残念です.今、救急の現場で一所懸命に頑張っておられる医療者に、和田移植の話を持ち出すのは不当だと思います

三井: アメリカの脳死判定が誤診だというのは、どうして分かったのですか.

会田: 内部で発表する医師がいるのです.しかし、アメリカでは、そういう内部告発的なことをしても、それで本人の首が飛ぶというようなことは、たぶん、ないのだと思います.

F: 昭和天皇の死以来、尊厳死協会の会員は急増しましたが、最近、尊厳死の問題はほとんど話題にはなっていません.尊厳死についての現状はどうなっているのでしょうか.

会田: 尊厳死協会は政治運動もしていて、自民党の中山太郎前衆議院議員を中心にしたメンバーが「尊厳死法制化議員連盟」を作り、活動をしてきましたが、これから国会審議される可能性はかなり低いだろうと思います.

政治的な動きとしては、この7月17日に完全施行される改正臓器移植法の動きのほうがより重要視されているのではないかと思います.これが施行されると、子どもが脳死判定され、子どもでも臓器提供ができることになります.この法律にものすごく反対している人達がいますので、厚労省は、その人達を刺激するような動きに非常に敏感になっています.従って、それと連動するような尊厳死の話というのは、なかなか進め難いだろうと思います.

私は尊厳死協会の活動に敬意を払っていますが、太田典礼さんが代表をされていたときは安楽死協会という名称でした.安楽死は尊厳死と全く違います.安楽死をより正確に言うと、積極的安楽死ということになりますが、これは毒物を注射して命を終わらせるということです.そして、尊厳死協会が尊厳死と呼んでいるもの、そして私が研究テーマにしている延命治療の中止というのは、本人にとって医学的に必要でなくなった治療を終えて、看取りに入るということです.そういうことですが、安楽死という名前で活動していた団体が名称を変更してやっているというところに疑いをもっている人たちもいるわけです.活動が全然違いますので、今活動している人を疑いの目で見るのは問題があると思うのですが、政治的に微妙な話題ですので、当分は動かないと思います.

2007年に、厚労省の終末期の意志決定プロセスガイドラインが出ましたけども、それは、尊厳死のことや、治療の中止に関して、どういう条件があれば医師は免責されるのかというようなことには、一切言及していません.そして、治療が医学的に必要でなくなった終末期の人の治療を終了するときは、関係者で話し合って決めてくださいというふうに書かれています.つまり、本人の意思があれば、それを尊重しつつ、意思が無ければ、それを忖度できるような家族の人からの証言を得て、医師と看護師とソーシャルワーカーなど、関係する医療者と家族との話の中で、終わり方を決めてくださいということです.この先、そのガイドラインが社会的に受け入れられていけば、尊厳死の法制化は必要ないかもしれないという気はします.


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Last modified 2010.08.03 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.