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第33回レポート
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第33回リーフレット

第33回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  池内了(いけうち・さとる)
日時:  2011年2月21日



世界はパラドックス「レトリックのパラドックス」 BACK NEXT

三井: 皆様、こんばんは.今回の「レトリックのパラドックス」というテーマは、科学とあまり関係がないので、申込者が少ないのではないかと思っていたら、ご案内のメールを出してから一日も経たないうちに満員になってしまいました.ところが、今日のこの出足の悪さはどうでしょう.(笑)

池内: パラドックスですね.(笑)

三井: 皆さんが申し込みのときに書いてくださったコメントを拝見しますと、今日のテーマはほとんど科学に関係ないと思っている方、どういうふうに科学と結びつくのだろうと興味津々な方、何かひどく変わった話が聞けると思っている方、池内さんの話なら面白そうだから聞きたいと思っている方、というふうに分かれるようです.

科学というのは論理的に考えるということが最も大事です.しっかり考えるようにすれば、その科学が偽物かどうかも分かります.今日のテーマなどは、論理的な考え方を養うのにピッタリだと思いますし、現代は文系と理系の学問が大きく離れていますけれど、それを融合するという意味においても、良い機会ではないかと、私なりに理屈を考えております.

皆さんは、講師の池内さんをよくご存知だと思います.いろいろなご本をたくさん出していらっしゃいますし、新聞に書評なども書いていらっしゃいます.パラドックスに最も関係があるご本は『パラドックスの悪魔』(講談社・ブルーバックス)ですが、その前に書かれた『物理学と神』(集英社新書)にパラドックスを取り上げておられて、それが切っ掛けになったと伺っております.

他にも関係ありそうなご本は『擬似科学入門』(岩波新書)です.これにはパラドックスという言葉は出てきませんが、科学的なモノの考え方について書かれています.例えば、「与えられた情報に簡単に同意せず、批判的に考えることが正しい判断や選択につながる」.今日のテーマを通して、良く考えるとはどういうことか、どういうふうに考えればよいか、などについて、少しでも納得していただけたら良いなと思います.

今から、池内さんに、改めてパラドックスとはどういうものかという説明と、レトリックについての説明をしていただこうと思います.

レトリックのパラドックスは、身近にいろいろとあるのではないかと思いますから、皆さんからもそういう例をどんどん出していただいて、それが本当にパラドックスなのか、もしもパラドックスなら、どこがおかしいのかを話題にしたらよいのではないかと思っています.皆さんには、活発に、質問なり、議論なりをしていただきますよう、お願いいたします.

それでは、最初に、池内さんからお話をしていただきます.

池内: 今日は直に科学を扱うパラドックスではなくて、レトリックのパラドックスを考えます.なぜ、レトリックを取り上げたいと思ったかというと、数年前に、私は、「新しい博物学」ということを言い出しました.単に科学の話題だけではなく、人間がつくってきたいろいろな創作物である文学や芸能、それに歴史を含めて、それらと科学とを結び合わせた物語をやれば、文系の人も科学に親しめるのではないかと考えたのです.『物理学と神』も、単に科学の話だけではなく、人間の歴史と結びつけようとしたものです.

今日のレトリックの話は、特にユーモア作家や映画作家のような人達のものを取り上げます。どこが科学かということになると、私が選んだものだから、少しは科学の匂いがあるのではないか、あるいは、科学の論理性とつながるかもしれないというふうに受け取ってもらっても結構です.

パラドックスというのは、パラ(ギリシャ語のpara-)が"反対の"、ドックス(ギリシャ語のdóxa)は正論とか真理という意味ですから、真理や定説に反する説というのが最も直接的な意味になります.少し手の込んだものになると、真理に反するように見えて、実は真理であるとか、真理であるとも嘘であるとも決定できないというパラドックスもあります.例えば、"矛盾"がそうです.この"盾"は、どんな"矛"も通さないし、この"矛"は、どんな"盾"も通すと言われても、どちらが正しいのか決めることはできません.また、同時に真であり、同時に偽であるという説もパラドックスではないかと思います.一番堅いと言うか正確な定義は、物理学辞典に出ている物理学者の定義です.「もっともらしい前提から出発しながら、矛盾や常識に反する結論に導く推論」というもので、当前だと思って聞いているうちに、何か変だということに繋がっていくというわけです.

このように、パラドックスにはいろいろありますが、これまでの物理学と生物学のパラドックスでも、本当はパラドックスではないのではないかというのもありましたし、単に言葉の綾にすぎないということもありました.レトリックも正にそういうことで、日本語で言うと修辞法になりますが、言葉をいろいろと飾り立てることで、中身を明確にしたり曖昧にしたりする.あるいは、見かけだけのものにすることもあります.

レトリックで一番よく使われるのは、アナロジー、つまり、喩えです.アナロジーでも、直喩、換喩、提喩、隠喩(メタファー)といろいろありますが、卵と鶏肉をご飯の上にのせて、これを親子丼だというのは、正に見立てですね.見立てることや対比することを、少し大げさにやったりする.あるいは反語的に使う.「そうなのかね」とか、「全然違うもののようだけどね」というふうに持ちかけるわけです.反語的に使うときにパラドックスが生じるかもしれません.

それから、レトリックは、あからさまに言うのではなくて、何かを暗示したり、象徴的に表したりします.また、風刺や皮肉などの表現がいろいろ使われますので、その表現の中に、一種のパラドックスとか矛盾、あるいは、明らかに反するようなものが無理矢理に結びつけられているというような事柄がたくさんあると思います.

レトリックの名手はユーモア作家です.ユーモアに包んだ物語を作り上げるだけではなしに、そのユーモアの中で厳しい世評批判をしたりして、実は恐ろしいことを言っているというようなことがあるわけですね.ブラックユーモアという言葉があるように、ユーモアは明るいものだけではありません.それに、単に面白い話だけなら、誰もついてきません.そこに何らかの意味をもたせることによって、空想が広がるのです.ユーモア作家というのは一番のレトリックの名手であり、かつ、パラドックスをうまく使っている人達だと思います.


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Last modified 2011.03.22 Copyright©2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.