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第33回レポート
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第33回リーフレット

第33回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  池内了(いけうち・さとる)
日時:  2011年2月21日



世界はパラドックス「レトリックのパラドックス」 BACK NEXT

E: 何かに特化した人間が脆いということであれば、いろいろな人達と協力したり、意見を語り合ったりすればよいと思います.いろいろな人達が組織や社会を構成しています.そして、この地球上にはいろんな人たちがいるわけです.スペシャリストと言われるまで勉強することは重要だと思いますし、今の社会でも、そういう人達がコラボレーションすることが求められているのではないでしょうか.そういう意味で、普遍的なものを追求していくということが重要になるのではないかと思います.パラドックスの中に普遍的なものというのはあるのでしょうか.

三井: パラドックスの中に普遍的なものというのは無理だと思うのですが、反対の場合はどうでしょうか.

池内: あるパラドックスに対して、中を貫いている真実は何だろうかといった議論はできますが、真とも偽ともつかない結論もパラドックスですから、そういう場合に普遍性はありません.「急がば回れ」ということわざを、「気持ちが切羽詰まって焦って近道をしようとすると間違いますから、ゆっくりと遠回りでも確実なほうを選んで行きなさい」というふうに解釈すると、人間の生き方に対するある種の普遍性を意味していることになります.しかし、一般的には言えないと思います.

人間の社会は、今おっしゃったとおりで、いろんな人間がいて、いろいろな状況の中で、いろいろな役割があり、いろいろなタイプがあり、お互いに助け合って生きている.それが最も人間を生き延びさせることになっています.特化すれば便利なのですが、特化せずに、カフェ・デ・サイエンスのようなところへ来て、いろいろな話を聞いて耳学問したりすることが、人間として一番良いのではないかという気はしますけどね.(笑)

三井: 普遍的なものを考えるのが、このカフェ・デ・サイエンスの狙いになっています.細かい具体的なことはいろいろあると思いますが、それを一つ一つ取り上げていると切りがありません.ここでは、皆さんと一緒に、「科学とはどんなものなのか」、あるいは、「科学者とはどういうふうに考えるのだろうか」というようなことを考えることができたらよいと思っています.

F: 僕も60数年生きてきましたが、やはり、「浅く広く」と「狭く深く」の両方が必要だと感じています.しかし、それは、皆、結構やっているのではないでしょうか.ただし、特化したものが一つだけですと、タイミングが合わないと認められないということもありますので、「浅く広く」の中で、特化したものを複数個もっていることが大事だと思っています.

池内: 全く同意見です.僕は、今、総合研究大学院大学にいますが、学生達には、「専門化しなさい」と言っています.現実世界で生き残るためには、やはり、専門化しなければなりません.研究者は特にそうです.そして、「君の専門は、30年経ったら全然変わっているかもしれません.そういう場合にも付いていけるように、いろいろな分野で、それなりのモノの見方、攻め方みたいなものをちゃんと勉強しておきなさい」と言うわけです.

僕は、今、学融合推進センターのセンター長ですが、このセンターは、「各研究科で、トコトン研究をやりなさい」ということと同時に、「いろんな分野が集まって議論し合うということを意識的にやりましょう」ということを推進するための組織です.

三井: 要するに、専門バカになるなということですか.

池内: ただし、専門家として一目置かれ、それなりに、「あいつはスゴイ」と思わせるためには、トコトン専門化しなければならないのです.専門バカにならなければならない時期というのはあるのですよ.

三井: パラドックスですね(笑).若い時には特化して頑張り、年をとってきたら、視野を広げる.

池内: 24時間、専門のことばかりやっていられませんので、後の時間をテレビの前でボーッとしているくらいだったら、小説を読んだり、音楽を聞きに行ったりしてみたらどうかと言っているわけです.

G: 相撲の四十八手のうち、一つが得意になれば、他の四十七手もとれるというような話を聞いたことがあるのですが、今のお話は、そういう理屈でしょうか.

池内: 四十八手は一応知っておかねばいけませんけれど(笑)、突きが得意だとか、押しが得意だというふうに、専門家にはなる必要があると思いますね.

三井: 似たもので、「一芸に秀でる者は多芸に通ず」ということわざがあります.これはパラドックスではありませんが、レトリックですね.

H: 専門を突き詰めていったビル・ゲイツ(William H. Gates III, 1955-)やジョージ・ソルス(George Soros, 1930-)といった人達は、過剰にお金を貯めています.先程、老人は利己で、若者は利他というお話がありましたけれど、彼らは、年をとってから、利他的になろうとして慈善活動をやり始めます.一人で何兆円も稼ぐというのは、当然、搾取だと思いますが、その辺は、どういうふうに考えましょうか.

三井: 実力相応にお金を稼いでいるのか、搾取なのかを区別できますか.

池内: マイクロソフトは、正当にやった部分もありますし、他の企業に対して圧力をかけたこともありました.公正取引委員会が目を付けるまでは、それで大儲けしたわけですが、今の商業論理の中では、法律的に許される間は良いではないかということがあるのかもしれません.

彼らが大金持ちになって、がんやエイズ対策に大金を出したり、研究所をつくったりすることは、私だけでなく、誰だって、非常に良いことだと思うのではないでしょうか.金が一つところに集まってしまっては、商業活動がマイナスになりますから、金は常に還元して回さなければいけません.それが彼らのプロテスタンティズムなのかどうかは知りませんが、そういうこともあるのではないかと思います.また、それが寄付文化になっているわけですね.

日本には、あまり寄付文化がありません.日本の企業は、アメリカではたくさん寄付するのですが、日本ではほとんどしません.やはり、儲かったら誰でも寄付をするのではないかと思いますが、社会的な事情も当然あると思います.


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Last modified 2011.03.22 Copyright©2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.