吉川先生講演
1.科学についての新しい社会契約
2.第二種基礎研究を含んだ本格研究による契約の履行
3.一般化製品
4.夢、悪夢、現実
5.科学的方法の非対称性
6.第二種基礎研究が重要
7.第二種基礎研究の論理的構造


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[図 8]

[図 9]

[図 10]

[図 11]

[図 12]
4.夢、悪夢、現実

 さて、それでこういう図をお見せします。(図8) 1983年に非常に小さな研究グループがつくられます。それは私がある小さなワークショップみたいな学会で話をした時に、残念ながら亡くなってしまったのですが、Hatvany というハンガリー人がやってきて、お前のやっていることは、設計の話ですが、歴史分析に近いのだという提案をするのです。彼はコンピューターの研究者なのですが、技術の歴史研究グループというのをつくって、今日、ここに参加していらっしゃる中島先生もこの一員だったのですが、これをやるのです。それは何だったかというと、いろんな技術、機械やシステムなど、ある種の技術を記述するフォーマットを紙の上で書いていくのです。それを書いて、われわれの研究室の若手の人たちでつくった1つのシステムに、それをバッとデータとして入れると、どの研究はどの研究とどういう関係があるということが自由に見えたり、どこかに断続的な非常にイノベーティブな発想が存在していたというのがわかりるのです。あるいは連続的な展開でこの技術が流れたということが、みんな見えるという、こういう素晴らしいシステムだったのですが、残念なことにそのデータを入力するのに、ものすごくお金がかかるということがわかりまして、挫折したわけです。
 挫折したのだけれども、いくつかの重要な知見が得られて、私としては大変楽しめました。数年間続いて、日本とハンガリーで合計4回のコンファレンスをやりました。結果は出版されず、私的なパンフレットしか出ていません。が、その中の1つにこういう話があります。横軸は年と考えてください。縦軸は人々の関心というか、あるいは称賛というか、そういうものです。定量的にかけるかどうかは別ですが。そうすると、ある1つの発見、あるいは発明でもいいのですが、ある種のアイデアというのが出てくると、それに対して非常に大きな期待が出てきます。これは夢の時代と呼ばれています。ところが私たちの調べたケースのほとんどすべてで、そのまま現実の方法とか手法とか機械とか装備とかになっているものはない。必ず人気が落ちて、そしていわば忘れられた時代というのが過ぎて、しかしながらその後現実になる。現実的にそのものの後を追ってみると、もうほとんどこういうかたちになっている。ここをうまく通過する、これが実はなかなか大変だったのだということが歴史的にわかってきます。ここに出したとおり、夢と悪夢と現実と、こういうふうな曲線だということを、1983年に学会などでずいぶん話しました。Hatvanyは同じ発表を、あれはコペンハーゲンの学会でしたが、をやり、非常に反響がありました。そういうことで、これが非常におもしろいと、こういう話なのです。
 もしこういうことがわかっているならと、当時、こういう提案をしたわけです。(図9) 悪夢の時代に、例えば公的な研究費というのは、どういうふうに投入すればいいのかです。もちろん人気があれば、それはお金を投入するけれども、これは人気がなくなっても、公的資金というのはずっと投入されます。こういう提案をしたのですが、これまた研究費の関係を調査していきますと、実はそうなっていなくて、こうなっているわけです。(図10) お金の出方は人気と共に…。人気で左右されます。だからゲノムなんかもすごい、もうすぐ出なくなっていくと思うのですけれども、こういうようなパターンというのが一般的には認められる。これはゆゆしきことなのですけれども、今は1983年の話ですね。

4.1.CADの例

 現実に、これは、1つこういった理論を成立する時の背景になる1つの例なのですが、1963年ですね。I. E. Sutherlandというひとが、MITのコンピューター・コンファレンスというコンファレンスで、CADという発表するのです。(図11)このCADというのは、63年ですからコンピューターのレベルは低いし、ディスプレイはテレビです。そういったもので、実は三次元的な幾何学図形をコンピューターの中でつくる、点のモデルをつくるのです。その間に面を張って、面を張るということは、コンピューターの中でそこで背後に出てくる描線というのは消える、そうすると立体感で見えますよね、これは錯視ですが、立体感がある。それでくるくる回すと、あたかもそこに立体が見えます。そういう表現方法が可能なのだと言って、簡単な機械設計の図面をそれで書いてみせるのです。これはもう素晴らしいのだと。Sutherlandはシステムを発表し、その後、D.T.Rossというような人とか、あるいはS. A. Coonsというような何人かの人も発表して、これらの製図盤という一次元的な製図はもういらなくなって、5年後に、これがよくなかったのだけれども、5年後に製図盤は世界から姿を消すというようなことを言います。世界中のコンピューター・サイエンティストが集まっているから、ものすごい賞賛になりまして、世界中にほとんど1ヶ月ぐらいの間に、私はここに出ていなかったのですが、こういう発表をしたというのが知られました。まあそんな時代だったわけです。しかし5年後に、1台も製図盤はなくならないで、まだ、それどころか、われわれの記憶にも新しいことですけれども、1980年代までは製図盤で書いていたのですね。80年代の半ばからいわゆるCADというのが普及して、現在はもう、製図盤はなくなって、全部自動製図になってしまったのです。あるいは三次元設計というのが可能になりました。
 この間が非常に苦しくて、この人たちは忘れ去られるどころか、逆に誹謗されたのですね。「あなたがたは詐欺師だ」というような人たちが出てきたのです。そんなようなことがあって、日本の研究者がそういう非難をしました。当時、私もCADの研究をやっていました。私はこの人たちのサポー側だったのです。そうじゃないと、そういう詐欺だなんて言うのはけしからんと。しかし、この人たちが非常にさげすまれるような時代になってしまうのです。先ほどご紹介した、発表をしたCoonsという人、これは数学的な曲面設計の話をしたのですが、その人なんかも、彼の理論は間違っているなんて言われました。確かにそれは間違っているというよりは、完全理論では完全性がなかったのですね。やや抜けているのがあるから省略しちゃおうと、そういうことがばれたりしました。もちろんもともとそういう完全理論をつくろうとしたのではなかったのですが。そういうことがあったりして、誹謗されているうちに、彼はアル中で死んだという、こういう非常に厳しい時代がありました。彼は亡くなってしまったのだけれども、Sutherlandたちは生き残ったのです。Sutherlandはベンチャーを、Evans and Sutherlandという会社を作ってCADをものにした。これが典型的なパターンなのです。
4.2.FMSの例

 これもまたもう1つだけ紹介しますけれども、身近な例で、これは1967年にマンチェスターで国際会議が開かれました。(図12) これは私も出席しました。そこでDavid Williamsonという技術者と言っていいのかな、飛行機の設計者としてすごく実績のある人が工作機械を作ったのです。私もこの頃、イギリスにいたのですけれども、1960年代の初めに航空機産業から撤退して機械産業に移ろうとした時代があるのです。航空機産業で抱えていたたくさんの技術者が、機械産業にどんどん入ってきたのです。その工作機械というのは大変おもしろい工作機械でした。工作機械というのは普通鋳物とか非常に硬い鉄でできているのですけれども、全部ジュラルミン製なのですね。ですから軽い。軽いから動きが非常に速い。今で言えばいわゆるステップモータみたいな構造を持っていて、しかもコンピューターでコントロールされ、コンピューターの情報に従ってデジタル制御されたモーターで寸法制御するわけです。そういう構造になっているために、人が8時間働いて、データを入れてやると、機械は24時間動いていて、人間が16時間休んで、朝来ると、仕事がほとんど終わっているという、こういうイメージです。実際にそういうプロセスを示したのです。モリンズというタバコ機械の製造会社に、彼は航空機会社から引き抜かれてそれでここが工作機械を始めたのです。まったく新しい工作機械でした。現在で言えば、フレキシブル・マニュファクチャリング・システムですね。無人加工を大量生産ではなくて、多種小量生産でも可能にしました。このコンセプトが67年に発表されます。これは、前評判が高かったのです。私も見ていたのですけれども、300 人ぐらいの聴衆が聞いていました。発表し終わった時にもう全員が立ち上がって拍手、スタンディング・オベージョンでした。私は、公的機関、学会発表に対してそんなことが起こるなんていうのは、空前絶後というか唯一の経験ですけれども、非常に圧倒されたのを覚えています。それで終わると、うわっとみんな駆けつけて、握手を求めたり、質問をするという、そういうすごい状況になるのです。このモリンズという会社はこの工作機械を、5台つくったのですが、1台も売れませんでした。しかし素晴らしいというので、今も2台残っているのがわかっています。1台は、大英博物館にあります。もう1台はNPA(National Pharmaceutical Association?)のショウウィンドウに入っています。誰も使わなかったのです。そのためにこれも全然駄目だということになって、これは非難する人があまりいなかったので、マイナスにはなりませんでしたが、でも失意のもとに彼はやはり引退してしまって、イタリアの山の中かなんかで暮らしているということになるのですが、特許を取っていました。ですから、もう既に彼は亡くなってしまいましたが、晩年彼はものすごい特許王になって、日本の企業は莫大な特許料を彼に払わなければなりませんでした。彼の技術と関係ないようなかたちで世界的にFMSという概念が発達するのですが、その背景には、みんなこの特許が関係していたということがわかるのです。それで、彼は大金持ちになるのだけれども、イタリアの田舎で亡くなる。そんなにアンハッピーではなかったけれども、またここで10年以上、十数年の悪夢の時代がありました。

4.3.悪夢の時代はなぜ起きるか

 問題はなぜこんなことが起こるのかということですが、実は当たり前のことなのですね。これで言えば、コンピューターはまだ非常に幼い、言語についても非常にレベルが低い。同時に自動機械という、マニュピュレーションの機械がたくさんありますが、そういったものについての精度も悪いし、性能も悪い。こういうものが不足しているから現実化はしないのですね。ですからアイデアはいいのだけれども、しかしそれを実現するいわば道具だてがない。

 これはCADの場合もまったく同じですね。いわゆるコンピューターが幼い、それからそれよりも何よりも、この場合は非常に明快なのは、計算幾何学がなかったということです。最近になって、計算幾何学は1つの大きなジャンルをつくったのです。計算機はデジタルですから、デジタルの世界で、アナログのものとしての幾何学形状を、三次元的なかたちというものを取り扱うと、例えば接点を求めたり、交線を求めたり、そのときに小さな誤差が必ず出ます。その誤差を放置して、いろいろな処理を施しているうちに、データはばらばらになってしまうのですね。ものすごい回数をやりますと、いっぺんに誤差が爆発して駄目になります。そのためには従来の計算とはまったく違う一種のスムージングというのを常時行って、今そのスムージングの成果が常に、平均値からずれないという、強い条件を持たなければ計算ができないという、実はそういう非常に面倒な幾何学が必要だったのです。それを、おそらく何百人、何千人という研究者が研究している。そういうものができないと、具体的に三次元そのものをクルクル回して設計するなんていうことはできないわけです。要は知識が足りないのです。アイデアというものは、知識のないところにもどんどん出てきますから、その結果、どうしてつくれないのだろうということになります。


 
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