吉川先生講演
1.科学についての新しい社会契約
2.第二種基礎研究を含んだ本格研究による契約の履行
3.一般化製品
4.夢、悪夢、現実
5.科学的方法の非対称性
6.第二種基礎研究が重要
7.第二種基礎研究の論理的構造


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[図 17]

[図 18]

[図 19]

[図 20]

[図 21]
7.第二種基礎研究の論理的構造

 さて、最後にちょっと面倒なお話をして終わりにしようと思いますが、これは必ずしも今日ここでの議論のためでも何でもないのですけれども、第二種の基礎研究と言って、中身は空っぽなのではないかと言われても困りますが、そうではありません。そこには本当に難しい問題が存在しているので、これを是非いろいろな多くの方々に関心を持っていただきたい。そういったことを本当に研究する人が、私はいちばん望まれている研究者なのだと思います。それを紹介いたします。

7.1.Discipline

 Disciplineというのはいったい何か。先ほどDisciplineというのは言語で、それをDiscipline同士というのは、もう合体のしようがないのだという話をしたのですけれども、なぜ合体できないかということです。それはやはり、Disciplineというのがいったい何なのかということを考えるしかないのですけれども、Disciplineというのは、これ、ニュートン力学というのが、1つのDisciplineだとすれば、Disciplineだというにはあまりにも偉大ですけれども、これは、当時としては1つのDisciplineだったと私は思うのです。(図17) それは、ニュートンは生物も含めてあらゆる自然現象に関心を持っていたにも関わらず、そういったものを入れずに、神というか絶対に自然を支配しているのは、こういった現象の背後にもっと大きなものがある、それは力学なのだということを1つ決めます。それは運動物体、地上の運動物体、つまりリンゴです。リンゴと天体の運動とを統一的に理解するという、こういう1つのテーゼというか、立場をとったことになります。本人がどう思うかは別ですが。そういう1つの限定、私はこれをcollectionと呼んでいます。要するに多くのものがある中で、自分に関心のあるものを選んで、その関心は何でもいいです。宗教的理由でも実利的理由でも何でもいいのですが、関心のあるものがあって選んでくると、それは選んだ結果、あるものは全部そうなるのではありませんが、選び方がうまい場合には、非常に単純なパラメータで法則というものを導くことができます。これはたった3つの法則だと、ニュートンは言うわけです。この3つの法則がどう出てきたのかということを、チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce)という哲学者がとことん調べるのだけれども、最後までわからないので、彼は諦めます。なぜこんなものを見つけたのか説明できませんでした。パースはそれをアブダクションという論理過程と呼んだのですが。collectionをするのもアブタクション、なぜこんなcollectionをしたのかということもいまちょっとわかりません。これもわかりません。更にこういうものができれば、力学という理論ができて、それで製品ができるのです。製品ができる、これもアブダクションです。ですから、アブダクションの3乗と私は悪口を言っているのですが、人工物というのはアブダクションの3乗でできたと、こう言うのですけれども、いずれにしても何か非常に偶発的な、いわゆる論理系では説明できないものが背後にあることは確かなのですね。ここから先はともかく、法則をつくる第一の基礎研究はここにあるのですよね。これが、実はエスタブリッシュされた典型的なDisciplineになります。
Disciplineというのをもう一回、復習してみると、まず全世界における現象を観察します。(図18)そして、観察の集合をつくります。それは一種のコレクションです。観察の集合の中のある部分集合を取り出していきます。それは自分の関心を持つものをとりだすわけです。それ以外のところ、それにニュートンは動物の運動は入れませんでしたがね。そういったものを排除します。これは分類です。われわれは、分類というのは学問の始まりなのだとよく言いますが、分類をまず導入するわけです。そしてその分類にtopology という性質を導入すると、その分類間の演算というものが可能になって、その結果、それは1つの演算可能な知識群になります。1つ1つのDisciplineを説明する教科書というのには、すべての言語が相互に関係づけられているということです。無関係なことは出てこないし、矛盾したことが書いていないということですから、それはいわば演算性が存在すると言われています。そういうことなのです。この3つの条件を満足することです。まず観察する、collectionが行われます。それからsubsetをつくり、それにたいしてtopologyという性質が見つけます。要するにこの場合、abcという3つの原理がcollectionだとすれば、それを全部覆うようなsubsetが存在するということなのですね。覆った上で、この2つがtopologyになっています。4番目はこの数が最小だというのは、これはあまり重要ではありませんが、この4つを満足したのがDisciplineだということなのです。やや抽象的な話ですが。

7.2.Disciplineの統合は難しい

 具体的にはどういうことかというと、こういうことです。(図19) Disciplineというのは、われわれはあるcollectionをして、分類を入れます。分類を入れてどんどんどんどん抽象化、上にこうあげていくのです。例えば運動系というのを見ると、運動のシステムというのは二次曲線の集合になります。地表の運動では、重力が支配します。ですからその二次曲線というもので、モデルが示されます。そうすると、Cassirerは、数空間というのに導かれて、この抽象化を行えば、二次方程式を使って、すべての運動は再現できると、ですから、行きと戻りは1つのシステムになりますと、こういう強い主張をCassirerはするわけです。実はその抽象化というのは、Millの抽象化もあって、これはちょっと駄目なのです。これは動物、動物も分類学ですけれども、ずっと分類していくと鳥というものがあって、更に抽象化していくと、何か存在するものになって、これは戻れないわけですね。戻れない抽象化もたくさんあるのですが、Cassirerが指摘したように、数空間で抽象化を導いていけば、戻ることもできるという提案をしたのです。しかし、Cassirerというのはやや楽観的過ぎていて、本当はわれわれ、今言ったように、1つのDisciplineの内部で戻ることはできるのですけれどもね。2つのDisciplineにした途端に戻れなくなります。(図20) 例えば鳥がいた、二次曲線の鳥って変ですが、例えば楕円を描いて飛ぶひばりというものをもし考えたとした場合、そういうものは、その抽象空間からどうやって作り出すかって、これはもうできないです。それはなぜかと言うと、さっき言ったように、この2つのDisciplineというものは、うまく適合しないからです。合体できません。
その合体できない理由というものを、1つだけここで申し上げておきます。(図21) 時間がないので結論だけ申し上げます。これは私がよく例に出すのですが、このように新鮮な肉とコチコチになって食べられなくなった肉と、それから腐って食べられないという肉と、こういう3つのcollectionをすると、新鮮な肉だけ食べられるという、ある分類が入ってきます。Discipline 1の食べられるか食べられないかという分類をすると、これはこうやってカバーします。食べられないというのと、食べられるという2つの概念が、全体の集合をカバーし、しかもこれは省略しますが、topologyという性質を満足しているので、この間には距離が延びます。すなわち食べられるものから食べられないものの間にいろいろな距離があるのです。例えば3日間は食べられるというのは、この中間に相当するのです。賞味期限というふうに考えると、実は賞味期限というのは、この間の距離空間なのです。ですからこれはDisciplineです。多くの科学のDisciplineというのは定量的なものを導入します。Discipline 2は変化すると変化しないという、こういうDisciplineで、これは全然違うDisciplineです。これは変化するもの、腐っているものはますます腐り、新鮮なものは腐るかコチコチになってしまいます。コチコチは変化しません。変化する、変化しないという全体をカバーするtopologyを導入し、しかも変化するものから変化しないもの、3日間もつとか、そういうこれはまたディレーションといいますか、それで何日持つか、これは定量化できます。完全に変化しないとか、徐々に変化するとか、すぐ変化してしまうというのは、定量化ができます。それがDisciplineです。それは変化ということについてのDisciplineです。ところが食べられるというDiscipline 1という変化というDiscipline 2を一緒にして、保存が効いて食べられるという、われわれの現実的なものをつくろうとした時に、この2つのDisciplineはケンカして、もはや人の思考の停止させてしまいます。それがDisciplineの合体の難しさで、これが第二種の基礎研究の難しさです。それはどういうことかというと、これは今言ったように、これとこれが、2つのこういう極端な集合が、何々ができるということで全面肯定から全面否定になった時に、その間に距離が導けるのです。合体したらどうかと、合体するというのはこういうことです。食べられてかつ変化しないということです。ここがおもしろいのだけれども、この集合に対して、またこれに対する否定集合がどこかにあって、あれば距離空間ができて、簡単に言ってしまえば、その距離の上を追っていけばものができるのです。ところが、今、この2つのものをつくって、これの集合をつくることはできます。それは食べられてかつ変化しないというのは、ソーセージみたいなものです。ソーセージをつくるためには、実は食べられてかつ変化しないものの否定集合が必要です。食べられるものと食べられないもの、否定集合を求めようとすると、ノーブルの定理によってこういう構造になります。これの否定というのはこういう構造です。これは言葉で言うと、「食べられないかあるいは不安定なもの」です。食べられないかあるいは不安定なものという現実をわれわれは想起することができません。できないということは、その間に距離空間をつくることができないということになっていて、それは人間にとって、ものを考えるのに非常に難しい領域にわれわれは入ってしまいます。これが2つ以上のDisciplineが合体することの難しさということで、実は第二種の基礎研究というのは、実は複数のDisciplineも合理的にマニュプレートすると、そういうことなのです。しかしこれは、大変チャレンジングな話で、みんなやっているわけです。やっているのだけれども、知らず知らずにやっています。しかし知らず知らずにでもやっている以上、何かそこの背景には必ずシステムが存在しているはずで、私たちの第二種の基礎研究というものを、1つの体系的なものにするということは、この問題を、このレベルではなくて、もうちょっと別のレベルから体系的に整理することに他ならないのです。
 これはなぜこんなことを申し上げたかというと、第二種の基礎研究というものにやって私はやはり物、現実に科学的な知識を社会に役立たせるという例のループを完成するための、1つの突破しなければならない必然的な部分なのだけれども、その部分についての体系をわれわれはまだ知りません。それを早くつくらないと、現在、地球上で人類が抱えているさまざまな問題を解くことができない、それによって負けちゃう、その競争が始まったということで、第二種の基礎研究を盛んにして、しかもそれを行う人をどんどん認知していくというような、1つの社会システムを早くつくることが、非常に大きな課題だというふうに今、考えています。これが私の結論です。以上です。

 
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