The Takeda Foundation
カフェ de サイエンス
カフェ・デ・サイエンス Top

カフェ トップ
福井カフェ(2日目)
Page 1
Page 2
Page 3
Page 4
Page 5
Page 6
Page 7
Page 8
Page 9
リーフレット

科学技術週間 カフェ・デ・サイエンス in 福井


講師: 斎藤成也(さいとう・なるや)、
ゲスト講師: 佐々木閑(ささき・しずか)
日時: 2006年4月22日



あなたはどこからきたか −日本人のDNA− BACK NEXT

三井: ありがとうございました。

斎藤: 実は、去年書いた「DNAから見た日本人」という本を1冊持って来ました。 今日、私から見て、一番痺れる発言をしてくれた方に差し上げます。痺れるご発言をお願い致します。

三井: 早い者勝ちということもありますので、どなたか質問なさいますか。 では、お団子を食べながら考えて頂くことにして、佐々木さん、お願いします。

佐々木: 佐々木です。三国の生まれです。三里浜の黒目というところです。 黒目というのは、興福寺の寺領で、黒姫という御姫様の所領だったそうです。使っている方言は、もちろん、福井弁、あるいは、三国弁ですけども、 ときどき日本の古典なんか読みますと、標準語には無いのに、普段我々の使っている福井の言葉が、土佐日記の中に出てきたりすることがあります。 日本海側のこの辺りというのは、非常に古い伝統文化を、中央が失ったものをたくさん残している場所ですね。だから、「日本人はどこから来たのか」 というような話をするときは、我々がそのルーツのど真ん中にいるような気もして、そんなご縁でここに居るというのも不思議な気がします。

小学校の頃は田舎育ちで、科学も仏教も何も知りませんでした。毎日、詩ばっかり書いていました。その詩をコンクールに出したら、 サトウハチローさんがすごく褒めてくれて、賞品だといって、百科事典をくれたんですね。それが、生まれて初めて科学に出会った最初です。 小学校5年生の時です。その百科事典を毎日読んでいるうちに、普通の科学少年になってしまって、才能もないのに科学をやるというふうな道に進んで、 そのままズルズルと、大学の化学までやってしまいました。その頃になって、やっと本性を取り戻しまして、目が覚めたんですね。 そして、仏教とか宗教とか、そういうものをやり始めたんです。ところが、斎藤君と高校で出会って、文科系的な理科系人間というような人に出会って、 私も大変刺激を受けまして、文系理系という枠を超えてモノを考えるということが好きになったんですね。片一方だけだと、すごく狭い気がするんです。 両方一緒に考えると、自分の立場が、ずいぶん深く明るく見えてくるような気がしましてね。 科学が好きだった人間が、それをやめて仏教学に移ったんですけども、やはり、その奥底には、好きだった科学に対する思いが、ずっと今でもあるんです。 今日は、こんな話に呼ばれましたけれど、私はあくまでも「刺身のつま」ですから、DNAとか日本人とかいうのは、みんな斎藤さんに聞いて下さい。

ただ、仏教と科学というものを、簡単にくっ付けるのは非常に危険であると考えています。その一番悪い例がオウムです。 科学のように見える形で宗教を取り入れると、ああいうふうになります。化学工場で毒ガスを作ったり、耳に何か器械を当てて洗脳したり、 いかにも科学に見えるけれども、科学ではない。だから、宗教と科学を、簡単に似ている点だけで結びつけるのは、非常に危険性があると思っています。 では、何で結びつけるのかというと、これはモノの見方ですね。科学的な見方、仏教的な見方。そういうもので考えないと、 本質的な繋がりは見えてこないだろうと思います。今日の日本人のことに関して言えば、日本人はというより、私は、 「人間はどこから来たか」という問題には、非常に仏教的な意味があると思っています。キリスト教の場合には、「人間はどこから来たか」というと、 「それは神様がお創りになった」。そして、万物の霊長として、最初から、他の動物よりも一段優れたものとして認められている。そういう見方ですね。 それに対して、仏教の場合には輪廻しますから、人間はぜんぜん偉くないんですね。犬や牛やゾウリムシと人間との間には、全然区別が考えられない。 だって、次はまたゾウリムシかもしれませんしね。そういう意味では、人間だけを特別に偉い者だと考えていた西洋的な見方が、生物学、 特に進化論の発達によって、次第にそれほどでもないんだということになる。やがては、「中立説」のように、 たくさんある生物の中の一つの偶然の産物に過ぎないじゃないかというように、次第に我々のその偉ぶった鼻がだんだん折られていくような状態になっていく。 その向かう先に、仏教的なモノの見方があるというふうに考えますと、 進化論の進む先というものと仏教の土台というのが同じ世界観になるというような気もするんです。あんまり簡単なことは言えませんけどね。 ですから、今日、斎藤さんがいろいろと答えてくれると思いますが、DNAという絶対に確実な情報に基づいて、日本人の来た道を探るというのは、 とても大切だと思います。大事なのは、確実な証拠に基づいて、日本人の来た道を探るということであって、もし、確実な証拠がなかったら、 我々の勝手な思い込みで、例えば、日本人は他の民族より格別に優れているんだというような、 根拠のない妄説が我々の世界観を破壊していくという思いがありますので、今日のような、科学的な根拠に基づく、 「我々自身とは何か」という自己認識が、今の時代には何よりも大切だと思うんです。私は、そういう思いで生物学を見ている。 言ってみれば、生物学の応援団長なんですね。今日は、そういうつもりで来ましたから、私に対して、あまり質問しないで下さいね。 福井弁のことしか答えられませんから。

BACK NEXT


Last modified 2006.07.04 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.