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第14回レポート
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第14回リーフレット

第14回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  松野孝一郎(まつの・こういちろう)
日時:  2007年6月16日



異端児のみる生命 「生命の起源」 BACK NEXT

三井:皆さんからお寄せ頂いた質問の中に、生命の誕生は、30数億年前に一度しか起こらなかったのか、今でも、同じようなことはどこかで起こっているのではないかというのがありました。そういうことについて、何かお考えになっていらっしゃる方はありませんか。なければ、専門家の方に。

大島:生命が起こる条件は、今でも地球上のどこか特定の場所には整っているかもしれませんが、我々は現象として観測できないのです。初期の生命は、増殖力が非常に劣っていますから、生命らしきものが生まれてくると、すぐ他の生き物に食べられてしまう。それは、進化のときと同じです。ある生き物が一旦発生してしまうと、それに近いものはもう出てこないのです。それに近いものは競合するし、大抵は能力が劣っているので、常に淘汰されてしまいます。同じように、今の地球上で新しい生命が生まれても、それはすぐに消されてしまいます。

私は化学出身ですが、化学者は現実に観測できないものには、あまり興味がないんですよ(笑)。松野先生は、地球のどこかで生命の発生が今もあるかどうかということに関心があると思うのですが、そこが化学と物理の違いなんです。(笑)

松野:非常に荒っぽいやり方になりますが、出現の順序をひっくり返した進化現象は可能にならないことを証する実験系を考えることはできます。先程のアラニンとグリシンの系では、グリシン・アラニンという化合物が最初にできます。この配列が反転したアラニン・グリシンというジペプチドが現れると、前にできたグリシン・アラニンを切っていきますから、グリシン・アラニンが改めて定着して行くというチャンスはもうありません。結局、グリシン・アラニンは、アラニン・グリシンというジペプチドが出てくるための前座になっているわけですね。アラニン・グリシンが真打ちかどうかは分かりませんが、アラニン・グリシンが仮に二枚目であるとしますと、この二枚目が登場した後には、さらにその前座となる三枚目のグリシン・アラニンの出る幕はもうなくなってしまっている。理論的には、ありとあらゆる化学反応が考えられますが、現実には、ごく限られた舞台俳優が順を追ってしか現れてこないというわけです。

T:原始地球には、同じような分子がたくさんあるでしょうから、何も自分の足を食わなくてもよいと思います。実験系に、新たな分子を入れてやった場合は、それを食べるのでしょうか。それとも自分の足を食べるのでしょうか。

松野:食べ易い方です(笑)。ネズミ算式に増えているものは、自分の足を食べるほうが早いわけですよ。すぐに、外から入ってくるものを当てにできない状況になってしまう。生命の起源では、自己増殖する分子が現れるという言い方をしますが、われわれは、ネズミ算式に増える非常に限られたものに対して関心を向けています。その中から、優れものが定着してくる。それが、タンパク質と核酸になってきたということだと思います。

三井:優れたものが出るためには、変わったことが起こらないといけませんよね。熱水鉱床のようなところは、そういう条件を満たしているのでしょうか。

松野:海底熱水鉱床の一つの特徴は、熱水が循環していることですが、テレビで視るような場面ばかりではありません。鉱床中の岩石の割れ目の中で空いている細胞くらいの大きさの穴でも、同じような現象が起きているわけです。

そこで、ネズミ算式に増えるという現象が一旦生じると、常識に反するような現象が次々と現れる。われわれが化学反応やメカニズムを考える際には、無意識に機械的なメカニズムを考えていて、このような条件であれば、どのように進むかという形で話を組み立てて行きますが、とにかく現れてきたものを片っ端から切っていくとか、切りたくても切る相手がいないとかいうのは、非常に扱いづらい。しかし、切る能力のあるものが現れれば、結果的にネズミ算式の増殖が期待される。

足を切るといっても、自分の足だったり、他人の足だったりするわけですね。私の実験例は、非常に単純なアミノ酸ですけど、現実には、アミノ酸の他に、核酸という新手の分子がこのゲームの中に入ってきます。核酸は、アミノ酸に比べて、反応性に優れているというわけではありませんが、ネズミ算式に増えてくるときに、先代とより似たものが現れてくるのを支援してくれる。つまり、核酸によって、複製の際の忠実度を保証するハードウェアが準備されるわけです。

三井:そもそも、なぜ、海底熱水孔に材料が集まるのでしょうか。

松野:実は、反応する小さな分子を集めるというのは、現在も多くの研究者が関心をもっている大変重要な問題です。テクニカルには、この問題を解決しないと話が先に進まないくらい重要です。

ごく最近、アメリカの学士院会報に、次のような論文がでました(Baaske, P., Weinert, F.M., Duhr, S., Lemke, K.H., Russell, M.J., and Braun, D., "Extreme accumulation of nucleotides in simulated hydrothermal pore systems." Proceedings of the National Academy of Sciences of the USA, 2007 May 29, Vol. 104, p9346-9351)。岩石中に空いたミクロなパイプの中を反応分子を含んだ水が流れるときに、二つの動きが可能になります。拡散と対流です。この論文は、海底熱水孔の近くにある岩石中に空いた直径数ミクロン程度の小さな穴で、熱水による拡散と対流が起きるとき、とある隅に、水に溶け込んだ反応分子が他のところに比べて108倍というものすごい濃度で蓄積することが可能であることを、実験的に証明しています。これは、非常にインパクトのある論文だと思います。

三井さんの質問は、心臓をグサッと突く質問で、それがいかに大切な問題であるかということに、関係者は気付いていて、それに対して何とか答えていこうとしています。先の答えが、三井さんの想定しておられるレベルに達しているかどうかは分かりませんけど・・・。

三井:とても感激的でした。

N:私は、無機材料を使って自己組織化のようなことをやっていますが、片寄って集まった物質が組織化するというのは、ある意味では当たり前だろうと思っています。ただ、無機材料が組織をつくるときは、その表面で濃縮されますので、岩石の表面をファクターとしてどのように考えているのかお聞きしたいのですが。

松野:私が挙げた例に関しては、表面が効いていると言っていいと思います。物理の方は、一様な系を考えますが、実験系で一様だという範囲は、ミクロン程度です。周りは全て壁になっています。高温部と低温部の間隔が約10ミクロンくらいであって、その間を水が往復しているわけです。そして、冷たい方のどん詰まりに、もの凄く反応分子密度の濃いところが発生する。そういう状況にあれば、くっ付く相手を十分近くに見つけることができるというわけです。

われわれの言う、"concentration problem(密度問題)"には、これまで、誰も関心を払ってきませんでした。ミラーの実験でも、濃度に関しては余り関心を払っていない。濃度濃縮の問題に対して、われわれはどう対処すればよいか、ほとんど方法が無かったのです。この問題に関しては、物理学者に敬意を払わなければいけません。物理の方は、表面とかホモジニアスというような問題を容易にやってのけます。われわれの同僚は、物理学者の言っているホモジニアスな空間を、高々10ミクロンくらいのところで考えているわけです。これは、全然ホモジニアスではないという見方もありますが、モデル系としては、物理学者の言っているとおりです。

X:濃縮のメカニズムもあるでしょうが、無機物の表面への吸着は寄与していないのでしょうか。

松野:金属面は、電気的なチャージをもっていますから、まさに仰るとおりです。ギュンター・ベヒタースホイザー(Gunter Wachtershauser、1938-、Honorary professor at the University of Regensburg)という方は、金属の表面がいかに重要であるかということを言っているわけですが、意地悪な人から、「重要であることは分かっているけど、どうやって、必要なものを金属の表面にくっ付けるのか。水に接しているところでは、すぐに離れて、逃げて行っちゃうじゃないか」と言われますと、表面を強調される方は弁護できないですね。

ところが、今言ったひび割れみたいな細い隙間で物事が起きるとすれば、表面も利用できます。私の実験の話では、表面のことは一切言っていませんが、それが重要であることは確かだとしても、条件として考えるのは厳しいことですね。いろいろなチャージをもっている金属の表面というのは、寄らばくっ付くというのを、よりやり易くして、くっ付くもの同士の仲立ちをする仲人のようなものです。

三井:化学反応の触媒として金属が多く使われますし、海の中に金属はたくさんありますから、金属の寄与も大きいというのは納得できます。

ここで、休憩時間をとろうと思います。その間に、皆さんに宿題を・・・。これは必ず問題になってくると思いますが、生命とは何ぞやという定義です。自己増殖能があると言えば、コンピュータウイルスだって、生命と言えるじゃないかと。実は、私が読んでいた小説に、木で作られた可愛らしい「起き上がりこぼし」が生命体だと書いてありました。先ず、倒しても起き上がりますから、位置のエネルギーを運動エネルギーに変換できる。木でできているから、有機物である。では、増殖能はどうか。「起き上がりこぼし」が余りにも可愛いので、みんなが欲しがる。そこで、どんどん作る(笑)。一介の生物だって、自分の力だけで増殖できないものはたくさんいるじゃないかというわけで、こうした極端な話もでてきます。皆さん夫々に、生命についての概念をお持ちだろうと思いますので、休憩時間に、ご自分でお考えになるなり、近くにおられる方とディスカッションするなりして、後半に備えて頂ければと思います。

(休憩)

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Last modified 2007.08.14 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.