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第14回レポート
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第14回リーフレット

第14回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  松野孝一郎(まつの・こういちろう)
日時:  2007年6月16日



異端児のみる生命 「生命の起源」 BACK NEXT

三井:生命の複雑さに対して、コンピュータといえども太刀打ちできるのかなというのが、私の素朴な印象です。

C:就職のお世話をしている派遣会社に勤めています(笑)。僕が学生だった40年前に、ウイルスは生き物かという論議がありました。遺伝子はもっているし、タンパク質はできる。しかし、自己増殖ができない。生命の起源というのは難しい課題だと思いますが、システムバイオロジーのようなものが、意外と、解決の近道ではないかと思います。

富田先生(富田勝 慶応義塾大学環境情報学部学部長兼教授、医学部教授、先端生命科学研究所所長)のお話を聞いたことがあります。コンピュータ上で最低の生命体といえるようなものを作って、エネルギー源としてグルコースを与え、ATPの生産をみていくわけです。そこでは、グルコースの供給を止めると、生命体は死ぬことになります。実際に、パソコン上で、グルコースの供給を止めた直後に、ATPがピンと跳ね上がって、スーッと落ちていきました。それを視たとき、背中がゾクッとしましたね。僕は生物ばかりやってきた人間ですが、全く違う次元で生命体を追いかけるのも必要ではないかと思いました。In silicoバイオロジーは、我々が感じているギャップを埋めてくれるのではないかと期待しています。

三井:こういうお話の出てくるところが、カフェ・デ・サイエンスの良いところだと思います。そういう生命の捉え方もあるのですね。

O:どこからが生命であるかを決めることは、僕も、ある意味ではナンセンスだと思います。普通の人は、自分に理解できる長さや量というスケールで世界を見ているので、宇宙や素粒子はつかみ所がありません。同じように、その中間にある柔軟な構造をした特殊な物質も何だかよく分かりませんが、たまたま、それを生命と呼んでいるだけではないでしょうか。

Y:生と死の間にくっきりとした境はないということですが、イカからスルメにはなるけれど(笑)、スルメからイカにはなりませんよね。

大島:確かに、スルメをイカに戻すことはできませんが、微生物の場合は別です。微生物を、凍結乾燥というインスタントコーヒーを作るときと同じやり方でドライの状態にした"微生物のスルメ"は、室温で外国へ郵便で送っても、そこでまた再生することができます。

我々は根拠のないドグマを持っています。「大腸菌でできることは象でもできる」(笑)。クローンがそうでした。羊のドリーができたら、他の哺乳動物はアッという間でした。それは、ちょっとしたコツが見つかったからですが、基本的には、下等生物でできることは高等生物でもできる。スルメもイカに戻せるはず(笑)だと信じています。

T:私は、ロボットの会社をやっていて、先月末に人工生命体プログラムの研究発表をしました。東京大学の池上さん(池上高志 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系准教授)との共同研究ですが、複雑系のプログラムを使ってロボットを動かしました。それは、人から命令を受けないで、今の環境をセンシングして、自発的に行動するようにプログラムされています。

生命の起源というのはすごく不思議なことですが、お金にならないなぁというのがよく分かりました(笑)。産業やビジネスに応用されないと、研究は広がりませんし、お金に繋がらないと難しいと思います。生命の起源を、コンピュータを使ってシミュレーションしたり、ゲームで視覚的に分かりやすくしたりして、世の中に知らせるようにすれば、もっと研究が活発になって、お金も潤うのではないかと思います。

M:松野先生がなさっているような実験とコンピュータ上の実験には、どのような違いがあるのでしょうか。

松野:コンピュータと実際の実験とでは雲泥の差があると思っています。たとえば、炭素を使う実験をするとき、コンピュータで同じことをさせるためには、あらかじめ炭素とはこういうものだということを、コンピュータが理解できる記号で表さなければいけません。ところが、われわれは、炭素が何であるかということを明らかにすることなく、それを扱うことができます。棚にある二番目の瓶から3グラムとって、試験管の中に入れそれを炉に入れる。その結果は、計器上に現われてきた数値として見る。そのとき、われわれが使った炭素について、その素性をあらかじめ、洗いざらい明かすことを求められはしません。私の実験では、確かに単純な2種類のアミノ酸しか使っていませんから、コンピュータでもできるのではないかと言われそうですが、コンピュータではアミノ酸の素性を指定しなければいけません。指定するのはプログラマーです。現物としてのアミノ酸ではありません。そこが違いです。

M:コンピュータシミュレーションの弱みというのは、最初の定義の段階に問題があれば、それが最後まで続くということですね。

松野:コンピュータが理解可能な言語を使って定義するしかないわけで、システムバイオロジーもジワジワと批判を受けているのはその点です。われわれが言語を使うときには、質問してはいけない言葉が必ずあります。三歳くらいの子供は、山とはなに、川とはなに、と言って、お母さんを悩ませますけど、ある時期から、そういう質問をしなくなります。ある基本的な言葉に関して、もうこれ以上質問しないというのは、われわれが言語社会に生きていくために、非常に重要なことなのです。言葉の意味をとことん問うことを禁止しますと、われわれの言語社会はうまく機能するように見えます。それを、コンピュータに理解させることも可能になるかに見えるほどです。

生命の起源は、役にも立たないし、金にもならないけど、われわれの心臓をグサリと突いてくる。それは、われわれの言語そのものが如何にあやふやなものであるかということを突いているからです。お金を分配する側は、それを極めて不快に思うわけです(笑)。コンピュータは、ありとあらゆる対象を、特別仕立ての記号とその組み合わせで表現せざるを得ませんが、それで十分に表したことになっているかどうか、自信を持てるかどうか、そこが問題です。

三井:瓶の中身が分からなくてもいいということでしたが、それは厳然と決まっているものですから、やる人が分からないわけではありませんね。

松野:われわれは、薬品会社が貼ってきたラベルを信用しているだけですよ。薬品会社は、何か曰く言い難い方法で、なにものかを瓶に詰めただけかもしれません。われわれが執拗に尋ねても、そのラベルを張った瓶の中身をいかにして調達してきたか、その手続きしか言いません。山に行って、ある特別の岩石を採って来て、それを砕き、煮立てて、溶かしてという具合に、瓶に入ってくるまでの操作が延々と続くことになります。実験化学は、非常に泥臭いと言われますが、コンピュータではやりきれないところをやっている。つまり、全て手続きでやっています。コンピュータの場合には、どこかで、基本的なシンボルを容認し、それの氏素性を問うことを禁止してしまいます。シンボルはあくまでもシンボルです。それ以上ではありません。「そうだと思え。思えないのは、お前の勉強不足のせいだ」というところまで行くわけです。私も両方の立場に立ったことがありますけど・・・。

H:私は、商社から新しい会社に移って、サイエンスをいかにして商売にするかというのをやっていました(笑)。そのときに、今は商売にならなくても、将来的に非常に面白い研究だと思ったものがありました。それは、1990年頃、イギリスのEconomistという雑誌のScience & Technologyというコラムで読んだ記事で、ある学者(Peter Schultz, Professor of Chemistry, The Scripps Research Institute)が新しい生物を人工的に作ろうとしていると書いてありました。平尾先生(平尾一郎 理化学研究所横浜研究所ゲノム科学総合研究センター タンパク質構造・機能研究グループ チームリーダー)は正にそういうことをやっておられます。

平尾先生の研究は、通常のDNAは、A、G、T、Cという4種類の塩基でできているけれども、そこに全く新しい塩基を付け加えて、人工的にPCRで複製させたというものです。人工的に新しい塩基を合成して、DNAの中に組み込むことは、これまでに何人もやっていますが、増やすことはできなかったそうですね。このような世の中には存在しないDNAを、大腸菌か何かに入れてやれば、新たな生物ができるのではないかと思いますが、神を恐れるか恐れないかは別にして、サイエンティストであれば、それを目指すのでしょうね。生命の起源というのは、生命とは何かという定義が違うから、いつまで経っても結論がでないのでしょうが、こうした研究が、解決の糸口になるような気がします。

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Last modified 2007.08.14 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.