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第19回レポート
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第19回リーフレット

第19回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  榊佳之(さかき・よしゆき)
日時:  2008年5月31日



異端児のみる生命 「生命の知・工学の知」 BACK NEXT

三井:トウモロコシの中に暗号でも組み込んでおけば、それを食べた人間が変わったかどうか分かるかもしれませんけど・・・.

F:先程、人間は、他の生物と違って、結構上手くやりながら生き残って繁栄している生物の成功例だというようなことを仰いましたけれど、環境問題を専門としている立場から言えば、これから10年、少なくとも100年以内には、このままだと、滅亡とはいかないまでも、人口が激減していくだろうと思っています.この200年の間に人間の活動が引き起こした環境の悪化によって、今、大変まずい状況になっていると思っていますので、人間が上手くやってきたとは考えられません.

榊:私も、このままいけば、人類は絶滅すると思っていますので、危機感は同じだと思います.ただ、人間という生物種が60億余りにまで増えたということは、人間が上手くやってきたからではないでしょうか.本当のことを言うと、この先、破綻するかどうか分かりませんし、人工的に作ったプロセスを生命のプロセスに置き換えたいという私の淡い期待が、上手くいくかどうかも分かりません.それに、何ヶ国かの先進国が一所懸命やったところで、それとお構い無しに、効率だけで突っ走る国が出てくるかもしれませんから、こういう問題は、科学を超えて、政治や経済の領域に入ってくると思います.そういう状況の下で、私は、生命が上手に巧みにやっているプロセスを工学プロセスに入れ込むことが大事なのではないかと思っているわけです.

G:「自動車と、牛を飼うための牧場と、チェンソーを禁止すれば、人間らしく生きられる環境ができる」というようなことを言った人がいます.遺伝子組換え技術の場合でも、いろいろ規制はあると思いますが、生命を研究されている立場から、環境を良くするための提言はおありでしょうか.

榊:京都議定書の問題一つを採って見ても、結局は政治と経済の話になっていますので、私には応えようがありませんね.

三井:あまり政治的な問題のほうへは行かないほうが良いのではないかと思いますので、今日のテーマである生命の知・工学の知のほうに戻りましょう.

H:生命と機械を比較するときに、ウイルスとワクチンの例が使えるのではないかと思います.医学界では、ウイルスに対するワクチンを作りますが、次々と出てくる耐性株に効かなくなるという問題がありますね.同じように、人間が人工的に作ったコンピュータにもウイルスが感染して、それにワクチンをかけています.僕は、以前から、どうしてコンピュータ・ウイルスを抑えきれないのか不思議だったので、ひょっとしたら、ウイルスを作っている人と、ワクチンを作っている人が同じなのではないか(笑)と思ったこともあります.人工的なコンピュータ・ウイルスのように単純なものも排除できないのだから、ましてや、生物であるウイルスも、到底、排除できないだろうと思いますが・・・.

三井:話の流れとしては、生命とは何か、機械と何が違うのか、生きているとはどういうことか、あるいは、死んでいるとはどういうことか、という方向に進めてはどうでしょうか.

I:鉄腕アトムのようなロボットができるとしたら、そのとき、人間と機械との関係はどうなるのか.そもそも、鉄腕アトムのようなロボットが果たしてできるのか.その辺のことをお聞かせ願いたいと思います.

榊:今、Brain-Machine Interfaceといって、脳の中の情報を取り出して、それが何をやっているかを再現させるというのがありますから、たくさんレッスンしていって、状況によってフィードバックするというようなやり方で進んでいくのかもしれませんが、コンピュータの専門家もいらっしゃるようですので・・・.

J:カフェ・デ・サイエンスでは、素人の言葉で科学を語るということで、いろいろなテーマを扱ってきましたが、今日のテーマは難しいと思いました.例えば、生命系のテクノロジーを工学に使うと言うときに、生命系の人は、今迄のバックグラウンドをもっていて、可能か可能でないかを確率的に考えている.ところが、工学系の人は、そういうバックグラウンドが無いわけですから、100%の可能性があるように思い込む.そうすると、遺伝子を操作すると聞いた途端に、モンスターのようなものができると考えてしまうのではないかと思います.遺伝子操作のようなことは、一般論で語ると、大したことはできないというのも、すごいことができるというのも真実で、結局は、特定の遺伝子について説明するしかないのではないかという気がします.

鉄腕アトムのようなロボットを作るという場合でも、工学系の人は、瞬時に作るというイメージで話をされますが、人の場合を考えてみても、生まれてから何十年も教育されてきて、いろいろな情報を持っているのが現在の自分になっているわけですから、鉄腕アトムみたいなロボットも、時間をかけて、いろいろなことを教えていくのだと思います.良い鉄腕アトムになるか、悪い鉄腕アトムになるかは、やはり、育てる人次第ということになる(笑).

こうした双方のギャップみたいなところを、上手く伝えられる方法があればいいのですが・・・.

大島:我々は、こういうことができるという技術は提供できますが、それを使うかどうかは、また別のレベルの判断になります.つまり、政治や経済だけでなく、哲学的な問題にもなってくるからです.例えば、ある国では原子力は使わないと決めましたし、一定の範囲で遺伝子関連の技術を使おうという国々があります.今日の議論では、こうしたレベルの違う話が入ってきて、混乱しているように思いました.

それから、工学と生命は、言ってみれば、二つの外国語で話しているみたいなところがありますので、本当は、通訳が必要だと思います(笑).

K:臓器移植を例にして、生命と機械について考えてみました.例えば、我々は眼鏡をかけるのは何の問題もありませんが、角膜移植になると、少し問題になります.虫歯の治療なら問題ありませんが、骨の中にボルトを入れるとか、人工関節を入れるのは、少し抵抗を覚えます.また、薬剤の点滴は平気ですが、輸血となると緊張します.更に、臓器移植となると、大きな問題になって、そこには倫理的な要素も入ってきます.こうして見ると、問題なく受け入れることができるときは、生命を機械的に改良するとか補強する感じですが、問題を覚えるときは、生命そのものという感じがします.

三井:私は、身体の部分部分は、何となく機械的に考えることはできますが、脳ということになると生命になるという感じがしたのですけれど・・・.

L:今迄のお話を聞いていて、私は、生命にできることは生命が、生命にできないことは機械が優秀だというバカバカしい結論に辿り着きました.どちらが優秀か、あるいは理想かというのは、勝負の土俵自体が丸っきり違います.「神のモノは神のモノ、カエサルのモノはカエサルのモノ」というような(笑)ことで、生物のやれることは生物にやらせて、生物にできないことは機械がやればいいと思います.

それから、鉄腕アトムのようなロボットを、そもそも作る必要があるのでしょうか.鉄腕アトムは、人間のような感情を持つわけですが、泣いたり笑ったりするのは、人間に任せればよいと思います.どう考えても、コスト的に見合わない(笑).

先程、人間がこのままだと、人間に都合の良い生態系を、人工的に作るのではないかという意見もでましたけれど、それも、どう考えても、効率が悪いと思います.そういうことで、新しい生命を工学的に一から作り出すのではなく、やはり、今ある生命に何かを付け加えて行くという方向が正しいのではないかというのが、僕の中の漠然とした結論です.

大島:実は、農業や牧畜に関しては、極端に、人間に都合の良い生態系にしています.端的に言えば、生態系を壊しているわけです.広い範囲に稲だけが生えているのは、自然から見れば、非常に不自然なことです.ただ、それが我々の人類社会をこれまで永続させてきた基礎になっているという一面もあると思います.

M:私は土壌学をやっていました.農業は生態系を壊しているとのことですが、田や畑の中にも周囲にも、たくさんの生物が住み着いています.そのような生物にとっては、人間が作った生態系と言えども、都合が良いと言えるのではないかと思います.

N:遺伝子組み換え技術に反発する人が多いようですが、私は、素晴らしい技術だから、うまく活用したいと思っています.これからの温暖化で、穀物の収穫量を多くするためには、遺伝子組み換え技術を活用するのが良いと思っています.人間は、昔から、品種改良してきましたし、オオカミからイヌを作ったり、ヤマネコからネコを作ったりして、人間に都合の良い新たな生物も作ってきたわけです.遺伝子組み換え技術も、その延長で、品種改良の一つの方法だと思っています.


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Last modified 2008.07.22 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.