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第30回レポート
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第30回リーフレット

第30回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  木賀大介(きが・だいすけ)
日時:  2010年8月30日



異端児のみる生命「生命合成」 BACK NEXT

木賀: 宇宙人と会えるものなら、地球生命とはたぶん違う、その生きる仕組みを見てみたいと思いますが、たぶん、生きているうちに会えそうにないので、いろいろ作って見てみたいというのが自分の研究の動機の1つでもあります.どこまで生き物として認めるかということになりますが、自分とは異質なものに初めて出会ったとき、相手の権利をどう認めるかという問題は、人類の歴史上、連綿と続いてきたわけです.「新大陸」の発見にしてもそうだと思いますが、そのようなときに、我々はどうやって振る舞うべきかを前もって考えておくことは意義のあることだと思います.

B: 今の話を例えて言えば、偽金は本当のお金かどうかということです.流通すればよいのです.(笑)

木賀: そうすると、多くの人が生物として認めたら生物だということになってしまいますね.

三井: 少し違うものとか、大きく違うものがありますが、それをどうやって生物と判断するかというのが、今一つ、分からないのですが.

木賀: 作った当人は、「できた!」と、胸を張って言うでしょうが、それが万人に認められるわけではありません.生物の定義にしても非常に曖昧です.だからこそ、いろいろなものを作って、それが生物かどうか人々に判断してもらっていくことで、どこまでが生物なのか、それが明らかになっていく過程そのものに、私は興味をもっています.つまり、他の方々から、作ったものが生物ではないという理由を聞くことが、人工生物もどきを作っていく一つの意義だと思っています.

D: これまで、生命の定義を突き詰めたことがないのでしょうか.

大島: 生命の研究者は、伝統的に、生命の定義ということに、何ら研究上の価値を認めていないのです.「見れば分かる」というのが、彼らの生命の定義です.数学の世界は定義から始まりますが、生物学は定義無しから始まるのです.(笑)

C: "生きている"ということの定義はどうですか.

木賀: ある一定の時間が経った後に、何かが成長して複製されるということになりますかね.あれ、この定義だと、ちょっと変なものも入ってきてしまうかもしれません.昔、全く新しい配列のRNA分子を人工進化で作ったことがありますが、それが"育っている"という言い方をしていました.自分の研究対象が生物でないことは分かっていても、自分の手を借りて成長して増えていくからだと思います.そうすると、自分が作りこんだロボットに対して愛着を持つかどうかというような話にもなってきます.技術者出身の方であれば、自分が作ったものに対して愛着があると思います.そうした工作物に対しても"生きる"という言葉を与えることがあって、工作物は大量生産できますから、増殖するというのも曖昧な定義ではないかと思いますが.

三井: 以前、このカフェ・デ・サイエンスでも、生きていることと死んでいることの差はないという話をしたことがあります.その例として、微生物のような簡単な単細胞は、カラカラに乾燥させても、適当な条件を与えれば、また増えてくるということでした.増えているときは、確かに生きているのですが、カラカラになっているものを見たときには、生きているのか死んでいるのか、どちらとも言えませんね.

大島: 凍結乾燥した菌体というのは、水分がほとんど抜けた状態ですから、スルメと同じで、「見れば分かる」という立場からすると、スルメの状態にあるものは生きているとは言いません(笑).ただ、私は、「スルメはいつかイカになる」と固く信じています.(笑)

E: 人間の植物状態というのは、自力で生きていくことはできませんが、体の中にある細胞は生きている状態だと思います.

大島: 医学的に、植物状態は生きている状態ですか.

C: 植物状態が生きている状態かどうかは、脳死を死と見るかどうかで判断は異なると思います.ただ、体の細胞が生きているかどうかということになると、人が亡くなってからお葬式までの間に毛が生えてきますが、その毛は生きていると言うのでしょうか.

大島: やはり、生きている状態と死んでいる状態は連続していると思います.

私が非常に気に入っている台詞があって、それは、ポーリング(Linus Pauling, 1901-1994)が言ったのですが、「生命は定義するより研究する方が易しい」というものです.(笑)

F: 先生が今やっておられる研究は、100年後に、どういうかたちで人類に貢献することになるのでしょうか.

三井: 今のご質問に付け加えますと、木賀さんは、生命は何かということを知りたくて研究しているのでしょうか.それとも、何かすごく良いものを作ろうとしているのでしょうか.

木賀: 人工的な生命を作るということは、今までと全く違う原理のものを作ることになりますから、単に理学的な意味を追求するとしても、そこには必ず新しい技術が生まれる可能性が潜んでいます.

私の場合は医薬品開発を考えていますが、他のグループでは、燃料を生産するバクテリアを作ろうとしています.これまでは人間の食べ物を燃料に変えていたのですが、これからは人間が食べることのできないものを燃料に変えようというわけです.その場合には、1個の遺伝子操作ではすみませんから、たくさんの遺伝子を組み合わせる技術、すなわち、生命合成で使われる技術が必要になります.

G: 先程、大島先生が、応用面のお話として、我々がもっているのとは異なるアミノ酸でタンパク質を作れば、それは免疫反応を起こさないと言われましたが、それはどうしてでしょうか.

大島: 私の夢の一つは鏡の国を作ることです.私たちのアミノ酸は基本的に左手型(L型)でできていますし、糖は右手型(D型)でできています.したがって、両方とも反対型にしたのが、鏡の国の化合物です.左右が決まっている靴と、左右どちらでも履けるスリッパを想像してみてください.スリッパ型の化合物は免疫反応を起こす可能性がありますが、靴タイプの化合物であるD型アミノ酸で作ったタンパク質は免疫反応を起こしません.免疫反応が起こるためには、先ず、タンパク質を千切って小さくするプロセスが必要ですが、我々の体の中では、D型のアミノ酸で作ったタンパク質はほとんど消化されません.このようなタンパク質は、薬として使っても、免疫反応は起こさない可能性があります.

本当は、鏡の国の生物を作りたいと思っているのですが、D型のアミノ酸だけで作ったタンパク質は既に作られています.この種のタンパク質の合成には、生物の力を借りることができないので、化学の力が必要ですから、ものすごくお金がかかります.こうしてでき上がったタンパク質の構造は、生き物から取ったタンパク質を鏡に映したときと全く同じでした.

H: アミノ酸が全部L型になったのは、何か理由があるのでしょうか.

大島: それは分かりません.その質問に答える前に、宇宙に反物質の世界があるにも係らず、われわれの世界では、なぜ電子がマイナスなのかを説明してもらえれば、私も同じような説明ができると思います.(笑)

三井: 私の経験では、物理学者は絶対説明しません.(笑)

I: 新しい生物を作るということに関して、社会的な問題にはならないのでしょうか.それとも、遺伝子組換え実験で経験を積んできているので、意外と大丈夫だという感じになってきているのでしょうか.

実際に研究している方には違和感がないと思いますが、普通の人はよく分からないから、少し怖いのではないかと思います.だから、早めに情報公開をして、免疫をつくったほうが良いと思います.

大島: 私もそれには非常に関心があります.生命倫理では、人間に害毒を招くようなことだけを規制しているのではなくて、人が現在もっている生命観に急激な変化を与えるものも規制するという考え方がありますので、今、生命合成に関して最も問題になるのは、そういう面ではないかと思います.

最近の細胞の人工合成というニュースが人々の生命観にどれくらいの影響を与えたのかということを、きちんと調べるべきだと思っています.


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Last modified 2010.11.09 Copyright©2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.