The Takeda Award 理事長メッセージ 受賞者 選考理由書 授賞式 武田賞フォーラム
2002
受賞者
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パネルディスカッション
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パネルディスカッション
 
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西村:
 午後のパネルディスカッションの司会を務める西村です。のちほど、フロアからもいろいろ活発なご意見を出してくださるとありがたいと思います。せっかくのパネルディスカッションですので、壇上の人間だけが話をしていたのではあまり面白くありません。よろしくお願いいたします。
 最初にパネラーになってくださる2002年の武田賞受賞者のご紹介をいたします。それぞれの受賞者の方々は、午前中のセッションでご自分のお仕事については講演されています。フロアの皆様も特定の分野のお話は聞いていらっしゃる方が多いと思います。けれども受賞者全員が顔をそろえるのは、このパネルディスカッションが初めてです。
とりあえず分野とお名前だけをご紹介させて頂きます。日本には「さん」という大変便利な敬称がありますので、このパネルでは全員「さん」で統一させて頂くことにします。私のお隣りから順番にご紹介します。情報・電子系応用分野で受賞された赤アさん、天野さん、中村さん、生命系応用分野で受賞されたブラウンさん、フォダーさん、環境系応用分野のエラチさん、畚野さん、岡本さんです。
 このパネルの進め方ですが、最初に私の方から武田賞あるいは武田計測先端知財団がどういう業績を評価しているのか、どういうようなお仕事を奨励しているのかを、スライドを使って説明します。そのあと、受賞者の方々のお仕事と武田賞との関係について、それぞれ5分ずつコメントを頂きます。その後、自由にディスカッションして頂きます。
 それでは、最初のプレゼンテーションをさせて頂きます。
 何年か前、武田さんが新しい賞を創りたいと言われた時から、私は武田賞の準備に参加しておりました。最初の段階で武田さんはスライド3のように二つのキーワードを出されました。一つが日本語で「生活者」という言葉です。現在財団の公式の英語として、"people"ということにしています。もう一つキーワードを武田さんがおっしゃいました。それは、「知」という言葉です。これは、現在の財団の公式用語としては、「工学知」という言い方をしています。今日は、表現を単純化したいということもありまして、「知」を使わせて頂きます。英語では普通に"knowledge"という言い方をしていきます。武田さんは、この二つのキーワードを財団設立準備の非常に早い段階からおっしゃっていました。
 スライド4にありますように、一般の生活者にとっての価値を実現している仕事、そういう業績に対して賞を差し上げたい、そういうお仕事を奨励したい、そう言われました。その結果、特定の学問の専門分野、特定の技術の専門分野、そういう専門分野の中で、専門家集団だけを高く評価しているが、一般の生活者に対してはとりあえずあまり影響を与えていないというお仕事、これは武田賞の対象とはしない、こういう考え方が財団設立の議論の中から出てきました。現在そういう考え方に立って、選考と財団の様々な活動が展開されています。これは、特定の専門分野の中だけで、その分野の専門家の間では高い評価を受けている仕事の価値が低い、といっているのではありません。そうではなくて、そういう分野を表彰する賞、評価する様々な活動は世界中でたくさん行われている。それはそれで大事なことだけれども、武田賞としては、あるいは武田計測先端知財団としては、そういうお仕事に対してではなく、一般の生活者にとってなんらかの価値を実現している、あるいは実現しそうになっている、実現しそうだということが確実になっている、そういうお仕事を評価したい、ということです。私は「へそ曲がり」なんだ、武田さんご自身はそう表現されています。「専門分野でのアカデミックなお仕事を評価する賞はたくさんあるから、ちょっと違うことをしたい。へそ曲がりかも知れないが、普通の生活者にとって、なんらかの価値を実現している、あるいは少なくとも実現しそうであることが確実になっている、そういうお仕事を評価していきたい。」武田さんはそうおっしゃっています。
 そのときに、もう一つ重要視しているのが、市場ということです。武田さんのお好きな言い方では、「市場(いちば)」です。市場にサービスやモノが出てくれば、普通の生活者がその市場を通じて価値を選択することができる。こっちの方がいい、こっちはやめた、そういうふうに、普通の生活者が選択できる状態になっている、なりそうだ、そういうものを評価したい。この、生活者という、業績を受け取る側、成果を受け取る側の立場に立って、生活者の側から見て、いい仕事なのかどうか、これを評価する。研究者や技術者という提供する側ではなくて、それを受け取る側に立って、評価をしていきたい。これが、武田賞にとっては、非常に大きなコンセプトになっています。これをスライド5のように"by the people"という言い方で表現しています。"for the people"であり、"by the people"なのだという言い方をしています。生活者が選択を通じて「知」の創造、あるいは「価値」の創造に関与しているのだ、そういう考え方をしています。
 ちょっとここで図(スライド6)を使って説明します。今のような生活者の価値というのは、二つの違う価値体系があって、その価値体系がぶつかるところから生まれるのだと、経済学の本には書いてあります。一番単純な例は、安いところでものを買ってきて、それを高いところで売るというのが、市場経済の利潤を生み出す出発点だそうです。生活者が市場で何かを選択することによって、市場にものを出している側の方は、そこから利潤をあげるわけです。経済学では、利潤があがるときには、必ず二つの違う価値体系があって、それがつながる、このスライド7のようになるわけです。水位に差があれば水が流れるわけです。これを、安いところでものを買ってきて、高いところで売れば儲かるということに対応させて二つの違う価値体系を水位の差であらわすとすると、その二つの違う価値体系がぶつかると、ここで水が流れて、この水が流れるということを利潤だ、利益だという風に例えることができます。この例えを以後使います。
 差がないと水が流れない、差がある、ということが非常に大事です。経済学の本にはそう書いてあります。原理的には、安いところで買って、高いところで売る。これが遠隔地貿易の場合です。それでは、新製品を売り出すというのはどういうことか。青色発光ダイオードの場合であれば、それまで青色の発光ダイオードはなかった。なかったところへ、青色発光ダイオードを作って売るというのは、どういう価値の差なのか。これは、未来の価値と現在の価値の差、そういう表現が可能だそうです。青色発光ダイオードは今までなかった。それを作れるようにして売り出すということは、未来の価値体系を人より先に知って、それを現在の価値体系で成り立っている市場に持ってくる、そういう表現が可能です。そこで、生活者にとっての価値を提供していくということは、未来の価値を人より先に知って、それを現在の価値の市場にぶつける、未来の価値と現在の価値の差から利潤が生まれる、そう解釈できる。
 ただし、この価値の差は、参入が自由で規制がない自由なマーケットの中では、やがて消滅してしまいます。青色発光ダイオードの例ばかり出しますが、最初日亜化学が売り出したときは、競争相手がいなかったかもしれないけれども、すぐに豊田合成が出てきて、今になったら、ロームも出てくる、どこも出てくるということになり、値段の競争が始まるから、やがてそこからは利益は生まれなくなります。そうしたらどうするか、つまり競争の結果としてスライド8のように水位に差がなくなってしまって利潤があげられなくなったらどうするか、そのときにスライド11のようにもう一回水を入れてやり、水位を上げてやる。そうするとまた水が流れるようになります。このもう一回水を入れて水位を上げること、これが実は研究を通じて新しい「知」を作り出す、新しい「知」がこの差を作り出す、そういう言い方が可能かと思います。この新しく水を入れて水位を上げることに相当するのが研究による新しい知の創造だという言い方ができます。ここが「知」の部分です。
 水位に差はある、「知」は生み出された。けれども、つながっていない。こういう場合(スライド13)を考えましょう。ポテンシャルエネルギーとして確かに差はある。しかし、つながっていない。つながっていなければ、水はじっとしている。そうすると、水を流す(利益を得る)ためには、スライド14のように、ここに穴をあけて水を流してやる算段が要る。水位に差をつけるという「知」とは別に、もう一つこの仕事がある。つながっていないところに、つなげて水を流してやる仕事、これは「知」を生み出すだけでは実現しない部分です。武田賞はスライド15のように、この両方を考える。つまり、生活者の価値の実現のためには、水位の差に相当する新しい「知」を生み出す仕事と、差はあるけれども離れていて流れないでいる状態の中に穴をあけて、水を流すという仕事、この両方を考える。後の方の仕事をアントレプレナーシップと呼ぶことができるでしょう。財団の公式用語ではテクノアントレプレナーシップといっていますが、私自身はアントレプレナーシップと普通の用語で表現した方がわかりやすいかと思います。
 生活者にとっての価値を作り出すためには、水位の差と、タンクをつなぐという二つの仕事、別の表現をすれば「知」と「アントレプレナーシップ」という二つ、この両方がいる。この両方があって、この両方によって、生活者への価値を実現している、あるいは実現しそうになっている、そういう仕事を武田賞は評価したい。片方だけだと武田賞の直接の対象ではない、こういう考え方に立っております。理事長ご自身は、先ほど申し上げましたように、この考え方をへそ曲がりだとおっしゃっていますが、これが武田賞の基本的な考え方だと私は思っています。
 ノーベル賞の場合は、今例えば1000人の人が仕事をしている分野があったとして、5年前にはそれが200人だった、10年前には100人だった、20年前には3人だった、そういう風に遡っていって、最初の人は誰かということが重要視されているように思います。この点、武田賞が最も重視しているのは、生活者に対して価値を提供する上で最も大きな貢献している人は誰か、ということなのです。その分野を学問的に始めたかどうかということよりは、生活者に対して価値を提供する上で一番大きな貢献をしている人は誰か、これを選考委員会も、財団のプログラムオフィサーの人たちも、一生懸命調べて確定する、そういう立場に立っています。ノーベル賞の場合は、最初の源流にさかのぼる。これはどっちがいいとか悪いとかという問題ではなくて、武田賞としてはそういう立場でやろうということです。先ほど私が言いましたように、知とアントレプレナーシップは両方ともが必要なので、どちらかが欠けたら最終的な価値は実現できないわけです。ただ、それぞれの賞がどこに焦点をおいていくかというのは、違う問題として少しあるのかもしれないと思っています。
 こういう観点で、受賞者の皆様から、それぞれのお仕事との関係で5分ずつコメントを頂ければと思っております。
 それでは、赤アさんからお願いします。







 
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