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第15回レポート
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第15回リーフレット

第15回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  平林久(ひらばやし・ひさし)
日時:  2007年9月8日



異端児のみる生命 「宇宙の生命」 BACK NEXT

平林:私は、知性体がいる星を、1千光年とか1万光年の距離で考えているわけですが、確かに、お互いの会話は非常に難しいですね.そこで、オーソドックスな考え方は、もしも信号を受信すれば、その一方的な信号を一方的に味わうということです.私たちは、世阿弥の能を、一方的に味わって楽しんでいますよね.モーツアルトの音楽もそうかもしれません.それに、調べて成功すると瞬時に喜びがきます.そのときには、何十年、何千年という時間的な待ち遠しさはないわけです.

私たちの宇宙は140億年くらい前に始まったとして、その中に星や銀河ができ、元素や重元素もでき、生命もできました.しかし、そういった最後の状況が、今まさに起こり始めているのかもしれないのです.天文学者はいろいろと測定して、現在どのくらいそういう状況になってきているのか、宇宙の壮大な歴史を調べようとしています.その結果、私たちの文明が意外にも宇宙の中で先行したものだとすると、今度は、あるときから腰を据えて、1千年のプロジェクトを立てなければいけないことになります.しかし、自分の中では、「今は、1千年先を見通すことより、先ず宇宙を理解することのほうが大事ではないか」と思っています.

大島:平林先生が一方的な会話と仰いましたが、一度接触したら、一方的に話し始める.向こうもこちらの返事なんか待たないで、言いたいことだけ言い続ける.そういう会話になるはずです.実は、我々はそのようなワンウェイの会話を始めています.それは、環境の問題です.我々が地球の環境を守ると言うときは、孫よりもっと先の世代まで見据えているので、これは、100年とか200年先の人間に向かっての一方的な会話です.この場合は、完全にワンウェイの会話で、向こうからは返ってきませんね.それと同じように、平林先生の仰った千年の計画で、宇宙のあらゆる方向に向かって、言いたいことを言いっ放しにしておけばよいと思います.

三井:今回の話題として、5項目挙げてありますが、その中に「宇宙言語」というのがあります.これは、どのようなものですか.

大島:近頃は、どこのトイレでも、男性用と女性用は絵で示されていますが、これは世界中の誰が見ても分かるはずですね.イギリスでは、どちらが男性用だかよく分からないこともありますが(笑).このように言語は、共通の理解がないと通じませんが、宇宙でも、数学の基本原理等は共有していると思いますので、そういうものに基づいた言語は作れるはずですし、一番簡単なのは、トイレと同じで、絵で示すことだろうと思っています.

平林:大学のときに、第二外国語としてドイツ語を習いました.ドイツ語は論理的ですね.男トイレは「入れ(Herren)」で、女トイレは「駄目(Damen)」といいます(笑).

M:最近、脳科学の本を読んでいて考えたことですが、最初に、今回のテーマに関係した内容を説明します.ご存知のように、イルカは非常に大きな脳をもっていて、脳のポテンシャルは人間より上だと言われていますが、大した文明をもってるわけではありません.それは、脳だけが文明をつくるわけではなくて、その生物の肉体が脳を規定しているからだといわれています.要するに、イルカには手もないし、言葉を駆使する声帯もない.従って、人間のような文明をつくることができなかったというわけです.

そういうふうに考えると、宇宙のどこかに生命体がいるとしても、地球と全く同じだということはあり得ない.環境もかなり違いますから、生命体の形も当然変わってきます.形が変われば、知性のあり方やコミュニケーションの仕方も違ってくるはずです.先程から「会話」という言い方をされていますが、そもそも、我々が想像するような言語による会話は成立するのでしょうか.人間には想像もつかないような形でコミュニケーションをしている生物というのもいるのではないか.テレパシーや色でコミュニケーションしている生物が非常に高度な文明を築いていたとしても、彼らとどのようにコミュニケーションをとるのだろうか.そういう素朴な疑問を抱きました.宇宙の生命を探すプロジェクトでは、地球人とは全く違う生命体とか、全く違うコミュニケーション体系について、どの程度まで想定されているのでしょうか.

三井:今のご発言には、いくつかの問題が含まれていたように思います.SFですと、言葉を交わさなくても、相手が何を考えているかが分かるというようなことはありますが、そういうことは科学的にあり得るのかということが一つ.それから、地球と同じものは存在しないだろうと断言されましたが、天文学者は存在すると考えているのではありませんか.

平林:ものの本によると、ガウス(Carl Friedrich Gauss, 1777-1855)は、地球に生き物がいるかどうかをしらせる方法として、直角三角形のように森を切り開くとか、灯をともすようなことをすれば、火星人が見ても分かるのではないかと言ったそうです.そこには、形を見れば、どのような論理体系かが分かるという楽観論があると思います.地球にいるものと同じようなものがいるかいないかにかかわらず、知性をもったもの同士の間には、必ず伝わるというようなモノがある.僕は、そういう楽観思想をもっているのです.子供達が言葉を覚えていくときには、大人といろいろやりあってフィードバックがあるから有利ですけど、フィードバックがなくても、絵などを紐解いていって、必ず、我々大人の論理や言葉まで、きちんと分かるようになるだろうと思うのです.

そうした考えに基づいた実験の一つとして、基本的な数学、物理のこと、太陽系のこと、私たちの情報などを絵にして送ったことがあります.アメリカでは、フランク・ドレイク(Frank Drake, 1930?)さんたちが、2万光年離れた球状星団に向けて送っています.私たちも森本先生と一緒に、13枚の絵を作って、16光年くらいの距離にあるアルタイル星に送りました.「知的生命体なら絶対に分かるよね」という楽観論は、未だに揺るがないですね.

大島:生物学的には、音は駄目ですね.犬だって、もう我々と違う音域の音を聞いています.絵が良いという理由の一つは、我々と同じような視覚をもっているのではないかと考えているからです.我々の目は可視光線と合わせたようにして発達してきています.ところが、地球上のほとんどの生物が依存している植物の光合成は、あたかも可視光を避けるようにして、ちょうど我々が見えなくなるぎりぎりのところにある赤外線領域に近い光と紫外線領域に近い光を使っています.その必然性を問われると、絶句してしまいますが、植物と動物では、太陽から供給される光のエネルギーをちょうど分け合っているように見えます.他所の星でも、エネルギーの生産は二の次で、先ず敵を見つけて逃げるための視覚に、中心となる星が出すエネルギーの一番良いところを使うのではないかとか、我々は常に臆病で、逃げることが何より大事だったのではないかと思われるふしがあるのです.

三井:ポジティブに何かを設定するというのは大事ですね.何かが無いということを証明するのは非常に難しいことですから.ただ、大島さんの発言に対して異を唱えたいことがあります.何か目的論的な話になったように思いますので、私は、「可視光以外の光を利用しなければいけなかったのが植物だ」という言い方をしたいのですが・・・.

W:進化論の立場から、法律学、法学の基盤を究明しようとしています.私は、地球における生命が地球の過去何十億年かの特殊な環境とスピードで、偶発的に立ち現れて進化したと楽観的に考えていますが、ここで、二つ質問があります.一つは、非常に離れた別の太陽系ではなくて、身近な太陽系でも、地球のように安定している星ばかりではありませんから、そういう非常に不安定な環境のなかで、高度な生命体が、我々の物差しで「急速に」進化する可能性はないのでしょうか.平林先生にお尋ねしたいと思います.

第二の質問は、「生命体とは何か」というときに、素人向けには「全ての生き物はDNAをもっている」というところに落ち着くのですが、他の全く異なる環境で、我々とコンタクトできる高度な文明をもった生物が、全く異なる方法で進化するという可能性について、大島先生におうかがいしたいと思います.

平林:私たち人類が変わっていくスピードというのは、僕たちの希望みたいなものから決まっていって、生物学的な進化よりも早く変わっていくのではないかという気がしています.もっと背が高くなりたいとか、髪の毛が薄くならないようにとかいう希望は、百年も経つと叶うようになるわけですね.つまり、僕たちがどのように変化していくかというのは、僕たちの希望が決めている.今後、太陽系のなかに新しい生物ができたとしても、人類が頑張っている限り、新しい生物が急激な進化をして、太陽系の中で一番優れたものにはならないだろうと思います.人間が望む太陽系をつくるということになるのかなぁという感じがします.

松田卓也(1943〜)さんという天文学者は、昔から随分過激なことを考えていて、私たちは「超人類」というようなものになっていくと言っています.人類は、こういう肉体をもっていなくてもよいだろうというのですが、そういう考え方があってもいいと思っています.

生き物を見つける場合も、知的な信号を見つける場合も、普通に生物学的進化をしているものの先にあるものではなくて、一度途切れてしまった人工的な知性体かもしれませんが、それは問わないのです.生物的なものであろうと、非生物的なものであろうと、論理的なことは必ず分かり合えるであろうという楽観論は、そういうところにも広がるであろうと勝手に思っています

大島:生物の進化については、他所の星でもこういう形になるという保証はどこにもないわけですね.地球の場合は、6億年前くらいに、突然、筒の形をした胴体に手足が付いて、それが基本形になり、そこから多種多様な生物が進化して分かれてきましたが、それが起こらなかったら、もっと違う形になって、違うことが起こりうると思います.従って、宇宙人がどのような格好をしているかというのは、ほとんど予測不能だと思います.形はどうであれ、意志を疎通し合うことのできる生物がいたらいいなぁと思っています.

生物学的に進化の速度を決めている要素の一つは、次の子供をいつ生産するかというサイクルですが、これは寿命とも関係しています.地球上の生物でも、寿命が非常に短いのもいれば、非常に長いのもいます.しかし、短いの長いのと言っても、たかだか数時間から数十年のことで、宇宙のなかでは、それもいろいろだと思います.仰るように、急速に生命が発生したかと思うと、急速に進化をして、アッという間に我々を追い抜いていくというような文明社会があってもおかしくないとは思います.

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Last modified 2007.11.20 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.