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第32回レポート
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第32回リーフレット

第32回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  池内了(いけうち・さとる)
日時:  2010年12月20日



世界はパラドックス「生物のパラドックス」 BACK NEXT

三井: 皆さん、こんばんは.今日のテーマは「生物のパラドックス」です.私は、パラドックスをカフェ・デ・サイエンスのテーマにするのは非常に良いと思っています.つまり、科学というのは、考えなくてはいけないわけですが、近頃はパワポなどを使ってどんどん説明されますので、考えている暇がありません.このテーマでは、そういうことには絶対にならないという点では、安心しております.

前回から、物理学者の池内了さんに来ていただいています.最初に、なぜ、パラドックスをテーマに選ばれたかとか、今日のテーマである「生物のパラドックス」について、皆さんの好奇心をそそるようなお話をしていただこうと思います.では、池内さん、お願いいたします.

池内: パラドックスを取り上げているのは、いろんなモノの見方、例えば、常識に反する見方、明らかに矛盾している見方、あるいは、対立している事象がそれぞれの役割を果たすといったようなパラドックスが、科学に対して多種多様な意味をもつだろうと思ったからです.

今回は生物におけるパラドックスを取り上げますが、私は思い付いたことを取り上げるだけですから、皆さんで相互に議論していただくのが良いと思います.

私が考えた生物に関わるパラドックスというのは、六つくらいあります.ただし、それが本当にパラドックスなのか.それとも、単に対立的な存在であるのか.あるいは、それはパラドックスではなくて、モノの見方にすぎないのか.そのような意見があるだろうと思います.

一つ目は、生と死のパラドックスです.つまり、生命体は生きているわけですが、内部に死を孕んでいるということです.生命体というのは、生と死が常にせめぎ合うことによって成り立っています.例えば、アポトーシスという現象は、遺伝子が細胞に死を命じ、それによって細胞は自死します.それがあるからこそ、われわれは生きていけるとも言えます.死が生を保証している.がん細胞は死を拒否した細胞です.がん抑制遺伝子が、がん細胞に「死ね!」という指令を出したにも係わらず、その指令に従わずに延々と増殖していく.そうすると、がんになります.この場合は死を拒否することで本体を死に至らしめることになるわけです.このように、私たちが生きるうえでは体の内部に死を孕んでいることが非常に重要であるということになりますから、これはパラドックスと言えばパラドックスです.

二つ目は、遺伝子のパラドックスで、これは時代が招いたパラドックスだと言えます.例えば、節約遺伝子という遺伝子があります.人間は、長い間、飢餓の状態で暮らしてきました.農業革命は1万年前ですが、食べられるようになったのは、もっと現代に近い時代です.現在まで生き残ってくることができたのは、何か食べるものがあるときには食べて、体の内部に栄養分などを溜め込む節約遺伝子が働いてきたからです.ところが、今や飽食の時代です.節約遺伝子はそう簡単に変わりませんから、相変わらず溜め込もうとします.その結果、メタボになったり糖尿病になったりするわけです.本来の役割を正しく果たしていた遺伝子が、現代のように環境が大きく変わったことによって、一転して悪役となる.このような遺伝子は他にもたくさんあると思います.

三つ目は、雄と雌のパラドックスです.アメーバのように無性生殖で、分裂によって増殖する原生的な動物は、今も地球上に生き延びていて、種類としては非常にたくさんいます.それに対して、雄と雌というものができて、生殖をしないと子孫が生まれないというシステムが作られました.また、雄と雌が共存しているミミズのような中間的なものもいます.ただ、なぜ雄と雌があるのかというのは、未だに100%の答は得られていません.無性生殖のままでもよいのに、なぜ、雄と雌ができたのか.雄と雌の葛藤があったり、互いの伴侶を見つけたりするためのエネルギーは膨大なものですが、無性生殖をする生物には全く必要ありません.一方、雄と雌の遺伝子を掛け合わせることによって、様々な新しい遺伝子の結びつきができたり、環境の変化に対応できたりするという良さもあります.どちらが良いかは、まだ決めることはできませんが、対立物があるがゆえに豊かになってきているのかもしれません.

四つ目は、毒と薬のパラドックス.生物資源の中には非常に優れた薬剤になるものがあります.10月に名古屋で行われた生物多様性条約締約国会議でも問題になりましたが、先進国の企業が、途上国の植物などを勝手に持ち出して、その成分を精製し、特許を取る.発展途上国は提供するだけで利益配分はありませんし、極端な場合には、特許が取られたために、その植物を使うことすらできなくなったという事件もありました.

生物は敵に襲われると毒を出します.あるいは、捕食者に二度と食べたくないという気持ちを起こさせるために、毒をもつようになっています.そのような毒が、うまくやれば薬になります.例えば、血液の流れを悪くするような毒があるとします.それを食べた生物は具合が悪くなりますから、二度と食べなくなりますが、その成分に、がんに栄養を運んでいく血液の流れを抑える働きが見つかったとすれば、これは薬になります.それは当たり前の作用を利用しているわけですが、毒として出発したものが薬となる.これは人間の知恵なのかもしれません.

サリドマイドという薬があります.妊婦が睡眠薬として飲んだとき、妊娠初期にだけ特別な影響を及ぼして、アザラシ肢症という障害を持つ子供が生まれたという危険な薬です.それが、近年、がんに効くということが分かってきて、厳格な管理の下で患者に適用されることになっています.大きな薬害をもたらした悪の薬が善の薬になったという例で、他にもそういう薬がいくつかあると思いますが、正に、毒と薬は紙一重で、使い様によるというわけです.

五番目は、ニワトリが先か卵が先かという論争で、未だにあります.卵を産んだのはニワトリで、ニワトリは卵から育つのですから、いつまで経ってもけりが付かない無限に連鎖する論理のように見えます.しかし、これはパラドックスではなくて、基本的には、卵が先ということで、だいたいは決着がつきます.要するに、ニワトリの先祖がいて、その先祖の遺伝子が突然変異等を起こして、ニワトリという種ができます.突然変異は生殖細胞の中で起こりますが、それが卵を通して、新しいニワトリとして現れてくるわけですから、ニワトリの本来の始まりは卵になりますね.

最後は、生まれと育ちのパラドックスです.遺伝と環境は人間に影響する非常に重要な要素です.遺伝というのは、基本的には不変です.遺伝子がスイッチオンしたりスイッチオフしたりすることもありますから、完全に不変ではないのですが、生得的な能力です.ただし、人間は言うまでもなく環境の動物です.遺伝子のスイッチオンとかスイッチオフも、体内環境でそうなりますから、遺伝と環境の両方が密接に絡み合っているというわけです.

一昨日(12月18日)、「脳科学神話を超えて」というシンポジウムを岡崎でやったのですが、脳も遺伝的要素で決まっている部分と、環境的要素で決まっている部分とがあります.例えば、三歳児神話というのがあって、脳の原型は3歳までに決まってしまうと言われています.早期教育をやらなければいけないというわけです.他にも、男と女の脳、右脳と左脳などについての神話もありますが、要は、脳が固定しているという見方と、可塑的であるという見方があるのです.脳というのは非常に可塑的なので、環境に応じて柔軟に変わっていくというところがあります.それをうまく利用したのが脳トレグッズです.前頭葉などを脳トレで鍛えれば、老化を防ぐだけでなく、さらに能力が高くなるというわけです.


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Last modified 2011.01.19 Copyright©2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.