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第18回レポート
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第18回リーフレット

第18回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  斎藤成也(さいとう・なるや)
日時:  2008年3月29日



異端児のみる生命 「生物進化」 BACK NEXT

三井:中立説というのは、まだ、考え方としては難しいような気がします.斎藤さんは、ダーウィンの自然淘汰説は「何かおかしい」と仰いましたけれど、どういうところがおかしいと思われたかを説明して頂くと、もう少しはっきりするのではないかと思います.

斎藤:ダーウィンは、1859年に出した「種の起原」という本の中で、自分の説がいかに難しいかということを書いています.彼が提唱した新しい説に対する批判は数多くありました.たとえば、目という非常に複雑な器官がどうして進化できるのかという批判です.それに対して、ホタテガイは外套膜のところに非常に原始的な目がたくさんありますが、そうした目や、魚の目、昆虫の目など、いろいろな段階の目があって、各段階で自然淘汰が起っていけば、最終的には、人間のような複雑な目ができてくるというふうに説明しています.しかし、各段階で、たくさんの子供が産まれたのでしょうか.それは「おかしい」という気がしました.

たとえば、鳥が飛べるようになったのは何故か.飛ぶためには、筋肉とか、羽とか、骨が中空になるとか、いろいろな条件が整って初めて羽ばたいて飛べるわけです.もちろん、世の中には、ダチョウのように飛べない鳥もいます.飛ぶまでのいろいろな中間段階があったとして、それぞれの段階で、たくさんの子供を産めたのかというと、それは疑問ですね.飛べなかった状態から、あるとき突然変異が起きて、突然空が飛べるようになったら、すぐに敵から逃げることができますから.これは素晴らしいことです.それは認めますが、飛ぶ以前の各段階で起きた変化が、少しずつ自然淘汰されて適者生存になったというのは、高校生ながら疑問でした.

高校生のとき、今西錦司(1902-1992)さんの進化論を読みました.彼も「適応」ということが嫌いな人でした.今西さんはダーウインの考え方を批判されても、変わるべくして変わると言うだけで、それに代わる考え方を示すことはできませんでしたので、私は離れてしまいました.そして、大学二年生の時に中立論を知ったわけです.

専門的になりますが、DNAの塩基配列、あるいはアミノ酸配列の変化するスピードを調べると分かります.ダーウィンの自然淘汰説では、変化は自然淘汰で起るはずですから、変化すればする程、より改良が起り、変化しないところは何も改良されないということになりますね.中立進化論では、そういう改良も稀に起りますが、変化しても、子孫の数に変化はないから、つまり、遺伝子の働き方には差がないから、変わってもよいということになります.

なぜ変化しないところがあるかというと、それは重要だからです.先程、セリンプロテアーゼの話がでましたが、この酵素の特性を示す部分のアミノ酸配列が変わってはいけません.それが変わるような突然変異が生じると、子供を残せないので、消えていく.これを人間社会に当てはめると、非常に分かり易いですね.首相が重要かどうかというのは微妙ですが(笑)、意外と重要ではないですね.職人さんのように、その人にしか作れないものがあるという場合には、「余人を持って代え難い」と言いますが、正にそれです.私なんか、偶々職を得て、こうしてフワフワ生きていますが、これは偶然がもの凄く大きいですね.自分に実力があってこうなったとは、決して思っておりません.人間社会でも、偶然が非常に大きな要素であることは当然だと思っています.

M:大学2年の学生です.重要なところは変わらないけれども、偶然そこが変わってしまうと生き残れないというのは、淘汰ではありませんか.

斎藤:その場合の淘汰は、現状維持のための淘汰です.これを「負の淘汰」と呼んでいます.そうした突然変異をゴミと考えて、ゴミを払いのける、"purifying"と言いますが、「正常化淘汰」とか「純化淘汰」という言い方もします.

ダーウィンの元々の主張は、そのような淘汰ではなくて、魚から鳥になるような変化も自然淘汰で起るということです.中立進化論は、現状維持についての淘汰は認めています.問題は変化です.現状を打破するためには、偶然が大事なのか、それとも、より良いものを残していくのが大事なのかということです.

M:僕は自然淘汰説しか知りませんでしたが、イメージとしては、そこに中立説が含まれていたのではないかと思います.下等なものが淘汰されて最も高等なものだけが生き残るとしたら、今の地球上には人間しかいないことになりますから・・・.

C:「自然淘汰」という言葉を使っておられますが、昭和40年代に、Natural SelectionのSelectionに「淘汰」という意味があるのかという議論があって、「自然選択」という言葉に変わっています.それから、「下等」とか「高等」という言葉についても、僕のボスは、「我々は5本の指の一番上を見ている」という言い方をしました.つまり、今いる全ての生物は、それぞれが進化したものの頂点にいると.

斎藤:Selectionは選ぶことで、良いものを選ぶ.ダーウィンもそう言っています.ところが、Natural Selectionの一番大事なところは現状維持ですから、選ぶのではなくて、摘んで弾き飛ばす.これは、正に「淘汰」です.だから、私は、一貫して、敢えて、「自然淘汰」と呼んでいます.木村資生先生も同じご意見です.残念ながら、誰が決めたのかは知りませんが、文部省の学術用語集でも、大抵の教科書でも、「自然選択」となっています.では、「負の淘汰」を「負の選択」と言ってもいいのですか.もっとも、「空気の重さ」は、軽くても「重さ」と言いますから(笑)、言葉の問題にすぎませんが・・・.

また、「選択」にはいろいろな意味がありますが、「淘汰」というのは特殊な言葉で、すぐ意味が分かるということもあります.そういう日本語の良いところも考えて、私は一貫して、「自然淘汰」を使っています.ただし、少数派です.

「下等」と「高等」については、人間が進化の頂点だとは思いません.むしろ、人間は負け犬だと思っています.人間は特殊ですので措いといて、お腹の中にいっぱいバクテリアがいる大型の生物を考えてみます.それは高等でしょうか.見方を変えれば、我々はバクテリアを生かすために巨大な洞窟を作っているに過ぎないかもしれないのです.バクテリアは生命の起源からの形をある程度保持していると考えれば、彼らこそチャンピオンです.彼らこそ本家で、我々は単なる分家です(笑).私は、「高等」と「下等」というのをひっくり返してもいいと思っています.

実際に、哺乳類が一生に産む子供の数は凄く少ないですね.人間は、日本では2人を切っていますが、2人しか子供が産めなかったら、自然淘汰はほとんど起りません.今の文明社会では、自然淘汰はほぼ止まっていて、極端に言えば、全て中立進化です.魚は何千何百という卵を産みますから、遺伝的なバラツキができて、その中からより良いものが生き残るということはあり得ます.

三井:微生物を生かしておくための袋だったら、どうしてこんなに複雑な形の動物になったのでしょうか.

大島:都会にはいろいろな職業の人が生きているのと同じで、可能な隙間が少しでもあれば、生物進化は、それを生かし続けるからじゃないかと思いますね.

斎藤:先程、自然淘汰説の中に中立説が含まれているという発言がありましたが、それは間違いですね.教科書にはそういう書き方をしているものが多くありますが、私は、それを徹底的に批判しています.中立進化論はパラダイムシフトです.中立論は分子レベルで正しいことが分かってしまったので、しぶしぶ受け入れているのです.「ダーウィンも言っていた」というようにごまかされているのが、私は非常に気に食わないのです(笑).

私は人間が進化の頂点だとは思いませんが、先程の、もし人間が一番高等だったら、全部人間になるのではないかという発言については、人間は特殊なので、その可能性は否定できないと思います.私が小学生のときに、「タイムトンネル」というテレビ番組で、100万年後の地球にタイムトンネルしたという話がありました.100万年後の地球には人類しかいなくて、動物は数万年前に絶滅したと.それは極端ですが、今明らかな人口爆発が起っているために、急速に地球上の生物が消えていっています.絶滅の恐れがある野生生物の情報を集めたレッドデータブック(RDB: Red Data Book)というのがありますが、私達が研究しているチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなども、このまま放っておけば、100年以内に絶滅すると思います.バクテリアはしつこいですから、絶対生き残っていると思いますが・・・.(笑)

では、どうしたらいいかというと、人間が消えればいいのです.だけど、人間が一番大事ですから・・・.ゴリラの研究家だったダイアン・フォッシー(Dian Fossey, 1932-1985)というアメリカ人女性は、アフリカのゴリラを救おうとして、現地人と衝突し、現地人に殺されました.これは、映画にもなっていますが、自然保護の戦いではなくて、単なる人間の価値観の激突に過ぎません.

人間は別にして、普通は、生存できるところが生じると、そこに新しい生物が進出するということはあり得ます.生物は、海のどこかで生じて、当時は何もなかった陸に、先ず植物が進出し、それを追いかけるようにして、昆虫や両生類が進出していった.環境が複雑であれば、いろいろなものが進化します.人間が特別だというのは、文明の力によって、地球表面全体を、ある意味で均等にしてしまった、つまり、自分たちがコントロールできるようにしてしまったために、人口爆発が続いているのだと思います.


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Last modified 2008.05.27 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.