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第26回レポート
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第26回リーフレット

第26回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  河合剛太(かわい・ごうた)
日時:  2009年10月26日



異端児のみる生命「RNA」 BACK NEXT

河合: そのような過程で見つかってきたRNAの中に、メッセンジャーRNAのような長さのRNAですが、非常に重要な働きをしているものがあります.ヒトの体の中には、X染色体とY染色体という性染色体があります.Y染色体は小さいのですが、X染色体は大きくて、たくさんの遺伝子が乗っている大事な染色体です.このX染色体は、女性には2個ありますが、男性には1個しかありません.従って、女性の体の中で2個のX染色体上にある遺伝子が全て働いてしまうと、バランスが悪いのです.そこで、女性の体の中では、あるRNAが働いて、X染色体の片方にある遺伝子の働きを止めています.どちらの染色体が抑えられるかは、細胞ごとに違うのですが、それも発育段階で決まっています.そうすると、ある部分の細胞の中では父方のX染色体が、別の細胞の中では母方のX染色体だけが働くことになります.それが目で見えるのは、三毛猫です.母親からの遺伝子が働いている部分は茶色で、父親からの遺伝子が働いている部分は白色というふうになります.だから、三毛猫は基本的にメスだけです.

大島: 三毛猫は一卵性双生児でも模様が違いますか.

河合: 受精したときはどちらかに決まっているのですが、発生の段階で一旦チャラになります.そして、新たに獲得する形質なので、どちらが抑えられるかはランダムだと思います.結局、遺伝的に決まっているわけではありませんので、一卵性双生児の場合にも、三毛猫の見た目は全く違うと思います.

D: 三毛猫のクローンネコをつくったときに、三毛猫の模様が違っていたという報告があります.

F: 本などを読むと、RNAは、メッセンジャーRNA、トランスファーRNA、そしてリボソーマルRNAの3種類しか出てきませんが、先生のお話ですと、非常に多くの種類のRNAがあるということですか.

河合: 数がどれだけあるかというのは難しいのですが、本を作ったときは、表紙の裏にリストを作りました.それがないと分からなくなるくらい、たくさんあります.

G: それだけ多くの種類のRNAが働いていると、細胞のシステムも非常に複雑になると思いますが、どうしてそのようなものをたくさん持っているのか不思議な気がします.

河合: 簡単な答えは、うまくいったものだけが生き残っているということです(笑).生物というのは丈夫にできていて、遺伝子が1個くらい駄目になっても生きています.大腸菌には、4,000個の遺伝子がありますが、遺伝子を1個ずつ働かなくしても、たいてい生きています.解糖系というグルコースを使う一番大事な経路で働く遺伝子を働かなくしても、どこかに回り道があって、死ぬことはありません.ですから、システムが複雑で混乱しそうであっても、どこかでうまくそれをカバーして生き残ってしまう.そういう頑丈さが、細胞の中にはあるのだと思います.

H: 今の遺伝子研究は、特定の遺伝子の機能を調べるときに、その遺伝子の発現を止めるという方法が主流になっていると思いますが、遺伝子が1個くらい無くなっても大丈夫だということになると、研究結果が本当に遺伝子の機能を反映しているのかどうか疑問に感じます.

大島: 研究では、一つの遺伝子を潰したら死んでしまうような条件を選んでいますから、遺伝子の働きは非常にシャープに分かります.しかし、自然界では、1つの遺伝子が潰れたからといって、それで死んでしまうようなことはありません.ちょうど、我々にとってのビタミンのように、遺伝子の欠損で作れられなくなった化合物を隣の細胞からもらえばよいのです.おそらく、自然界では、あちこちの遺伝子が欠損しているものが全体となって、種として生きているのだと思います.

三井: ノックアウトマウスを作っても、何事も起こらなかったという例が多いそうですね.

I: 細胞質にあるRNAは、女性からしか伝わっていかないのでしょうか.

河合: 細胞質にあるRNAは卵子からしか来ませんので、そういう意味での伝達は、女性からの方が多いかもしれませんが、精子の中に入っているRNAを探している人もいます.直接的なRNAの伝達は、女性だけとは限らないと思います.

J: タバコモザイクウイルスの結晶化が、ウイルスは生物ではないという証拠にされたと聞いているのですが、結晶になったタバコモザイクウイルスの中にあるRNAは死んでいるのでしょうか.それとも、生きているのでしょうか.

大島: 我々の日常生活では、生きているか死んでいるかは非常に大事で、いつお葬式をするかとか、いつ遺産を分けてよいかが、シャープに決められているのですが、本当は、生命と生命でない世界との間はそんなにシャープではなく、行ったり来たりできる.ウイルスは、そういう例の1つで、物質かのように試薬瓶の中に入れておいて、戻せば、また増殖することができます.だから、生きていること自体も曖昧になります.ウイルスを生物の中に入れるかどうかは、生と死をはっきり定義すること自体が不可能ですから、余り重要ではなくなるわけです.結局は、研究者間の約束事に従っています.自分の子孫を増やすことは生命にとって一義的に重要だと考える研究者が多いので、自分で増殖できないウイルスを生物とはしないという研究者も多いと思います.ところが、微生物学では、ウイルスは厳然と微生物なのです.だから、学問の中でも、既に矛盾しています.

三井: 生命の定義は、昔から、すごく難しいですね.大島さんのような考え方をしている人が多いのですか.それとも、異端児的なご意見ですか(笑).自己複製ができること、代謝ができること、境界があることの3つを挙げる人が多いような気がします.

大島: その3つを生命の特性として挙げることはできますが、それが1つ欠けているものを生き物とするかしないかは好きなように決めればよいと思います(笑).

K: 私の趣味は'きのこ'です.毎年秋になると、必ずと言ってよいほど、松茸の栽培に成功したという話が出てくるのですが、未だに成功していません.松茸というのは、元々は寄生菌としての能力をもっていたが、共生しないと生きていけない共生菌になったということで、進化の流れの中で退化した'きのこ'だと言われています.福岡伸一さんの本を読むと、生命とは川の流れのようなものだと書いてあります.この生命観から考えると、松茸を栽培するということは、川の流れを元に戻すことになり、本来的に難しいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか.

河合: 進化の方向はいつも同じだとは限りませんし、また、単純になるものもあれば、複雑になるものもあります.ある時点で、それが周りの環境と合っていれば選ばれるということで、松茸が、どうして赤松の根元でしか生きられなくなったのかは分かりませんが、偶然それでうまくいったので、今、生き残っているのだと思います.その松茸を赤松の助けを借りずにシャーレの上で栽培するには、時が流れ過ぎていますし、いろいろな紆余曲折を経ていますから、かなりの上流まで遡っていくことは難しいのではないかという気がします.ただ、絶対にできないということはないでしょうから、夢は持っていてもよいと思います(笑).


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Last modified 2009.12.15 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.